スポンサーリンク
オックスフォード大学卒のエリート
英語のホームページあり
✕オックスフォード
◯ウエストオックスフォード
東京経済大学を東大と略すな
スポンサーリンク
川田とは幼馴染の関係でダノンプレミアムやパクスアメリカーナなどの強い馬は全部川田が乗ってる
幼馴染て年離れすぎやろw
小さい(幼い)頃から馴染んでるってことだから、年関係ない気がするよ~!
そんなに年離れすぎてはいない
せいぜい6~7歳くらい
かつての
池江+武豊や池江+池添みたいなもんか
まだまだこれからって感じなんかね
英国の大学で馬学と経済学を学び、ってどんな学部?聴講生的なやつ?
ホームページがかっこいい
Nakauchida Stable’s official Website.
http://nakauchida.com
西の中内田
ノーザン社台の期待馬も入るようになったんだな
有力馬主が多いわ
調教師って感じの面じゃない
いい人なのかなって思ってたけど、
こないだゼンノの馬で騎手がミスした時に、
「普通に回ってくるだけで勝つレースだったのに、
このレースは最悪に乗りました。競馬になりません。」って言ってて、
ちょっと見方が変わったかな
それはミスした方が悪いだろ
特にミスには厳しい人なんだろう
正直で良いじゃないか
あの騎乗みて援護するような調教師なら信頼できないわ
騎手のせいで負けたのに馬のせいにしたり展開のせいで負けたとかいってる調教師や騎手より断然信頼できるコメントだと思う
良い若手調教師が出て来たな
将来有望な素材がね
ウオッカの子供や谷水(旧タニノ)は村山だろうが、それ以外は中内田かな?
2歳 3歳春までの新馬・未勝利戦は必ず人気になるな
コケることも多数だが
つまりかなりいい馬を預かっているということだ
グレイトパールとかのパール冠名はカタールだしエクレア冠名がマカオレーシングのCEOだかでオーストラリア人馬主の馬でも重賞勝った、まさに国際派って感じ。
スポンサーリンク
東 中内田先生は、ご実家が関西初の育成牧場の信楽牧場。学生の頃に留学されて海外に精通していて、まさに競馬界のエリートというイメージがあります。
中内田 いえいえ、そんなことはないですよ。ご存じかわからないですけど、生まれ育った信楽は何もないところですから(苦笑)。小さい頃はチャリンコ乗り回して、鼻水垂らしながら遊んでた普通の子どもでした(笑)。
東 そうなんですか!? 私も田舎育ちなのでわかります。自然の中でのびのびと育ったという感じですね。
中内田 そうです(笑)。田んぼの中に裸足で入って、カエル捕まえたりとかね。そんなことばかりしてました。馬は身近にいましたけどね。初めてまたがった時の記憶はないんですけど、小さい頃の写真を見て「こんな頃から乗ってたんや」というのは思いました。
東 おいくつくらいだったんですか?
中内田 たぶん3歳くらいなのかな。親父が馬を曳っ張って、僕が上にちょこんと乗っている写真で。子どもの無邪気な笑顔で写っていたので、怖くはなかったんでしょうね。それでもしばらくは競馬に興味がなくて…。本格的に馬に乗り始めたのは12歳の時です。最初は騎手になりたいと思ってました。
東 どなたか憧れの騎手がいたんですか?
中内田 それはもちろん、僕らの世代は“武豊”ですよね。“豊さん”と“オグリキャップ”、僕もそれを見て競馬の世界に入ったうちの1人です。
ただ、中3の時で既に体重オーバーだったんです。競馬学校を受ける人は40キロくらいだと思うんですけど、その時点で50キロ近くありまして…。それで滋賀県内の高校に進学して、高1の時にアイルランドにホームステイに行って、その後に留学という形に。・・・
東 すごく刺激的な大学生活を送られたとのことですが、イギリスのリチャード・ハノン調教師のもとで働かれたそうですね。
中内田 はい。在学中のことなんですけど、大学にどこか馬に乗れるところを紹介してしてほしいとお願いして、毎朝学校に行く前に乗りに行ってました。2年半ぐらいですかね、結構長いことお世話になりました。
東 名馬がたくさんいる名門厩舎なんですよね?
中内田 今ではそうですけど、厩舎が突き抜けてきたのはその後ですね。僕がいた当時はGIを獲るような馬はあまりいなくて、2歳馬とか短距離馬では強かったです。
東 日本の馬作りとは違うこともあるのかなって思うのですが。
中内田 ありますね。特に違うなというのは、調教やレースの使い方が厳しい。とにかく鍛えて鍛えて、2歳馬でも連闘で4、5回ポンポンっと使ったりしてましたよ。
東 2歳馬がですか!?
中内田 ええ。それでも不思議と馬が応えるんですよね。こんな使い方しても馬は勝つものなんだなと思いました(笑)。日本で一緒のことをしたら、たぶん潰れてしまうでしょうけどね。
東 向こうの馬ってタフなんですね。
中内田 思ったよりもタフでしたね。向こうは競馬にシーズンがあるので、3月の後半から10月ぐらいまでに詰めて使い込むんです。その後に半年ポンと休むというスタイルなので、できることでもあるんでしょうね。
東 イギリスではみなさんそういう使い方をするんですか?
中内田 全然、全然! リチャード・ハノンだからできることでもあると思います。それで成功している方ですからね。そこでイギリスの競馬を学ばせてもらって、フランスのクリケット・ヘッドのところでも3、4か月ぐらいお世話になって、2000年にアメリカに行きました。
東 なぜアメリカだったんですか?
中内田 ヨーロッパの競馬は勉強できたので、次はアメリカの競馬を見てみたいなと。それとビザの問題もありまして。
それで紹介してもらって、ロバート・フランケル厩舎へ行くことになったんです。
東 年間でGIを25勝するほどの超名門厩舎ですよね。
中内田 良血馬ばかり揃っている厩舎でしたね。そこを選ばせてもらったのは、ヨーロッパの実績馬でGIを獲っていたからなんです。しかも芝のレースに強いという。
実際に行ってみたら、ヨーロッパでそんなに成績を挙げていない馬でGIを勝っていたので、その辺はやっぱりすごいなと思いました。
東 結果が出る秘密はなんだったんですか?
中内田 路線変更で活躍させることもあったんですけど、1頭1頭の特徴を見極めるのに特に長けていたと思います。
血統とか過去の成績もすごく勉強する方だったんですが、何よりすごいのが、あれだけの調教師ですけど朝は絶対に厩舎に出て来て、1頭1頭の追い切りの指示を出すんです。
追い切りって時計重視なんですけど、ちょっとでも時計が狂ったら激怒で。
東 厳しい方なんですね。
中内田 厳しかったです。自分の中で「これだけやれば競馬に行ける」というものを持っていたと思います。
で、スタッフが一言でも余計なことを言おうものならまた激怒。僕がずっと調教を任されていた馬がいて、長期休み明けの追い切りの後に「どうだ?」って聞かれて、「うーん、1戦必要ですかね」って言ったんです。
そうしたら僕には何も知らせず、レースが2週延ばされていました。結局そのレースは勝ったんですけど、「この人は簡単には使わないんだな」と思いましたよね。
東 勝てないなら使わない。
中内田 そうです。1戦必要と言ったということは、そこは勝てないということなんですよね。
ものすごく勝ちを意識しているのと、勝てないレースには出さない。その辺はしっかり教え込まれました。
東 アイルランドに行ったきっかけというのは?
中内田 今はもうないんですけど、当時トレセンの関係者を集めてホームステイをするプログラムがあったんです。そこに参加したんですけど、まずは英語を覚えなくてはいけないので、最初の半年は語学学校へ行って、その後にそのままアイルランドの高校に編入しました。
東 大学も向こうですよね?
中内田 そうです。何校か受かってたんですけど、そのうちの1つのイギリスのウエストオックスフォード大学の馬学科というところに行きました。
東 2年で向こうの大学に入れるぐらいのレベルに達したというのがすごいです。
中内田 最初は全然ついていけなかったですよ。未だに覚えてるんですけど最初のテスト、10点だったんです。100点中の10点(苦笑)。それも、科学のテストで「ミトコンドリアの絵を描け」という。それで10点です。
東 面白い(笑)。日本では学校の成績は良かった方ですか?
中内田 いやぁ…たぶんそのまま日本の高校に行ってたら、不良で終わってたぐらいの成績でした。なんせ向こうでは、他にすることがなかったですからね。友達もいなかったし、勉強するしかなかったので。
東 馬には乗っていらしたんですか?
中内田 馬には乗ってました。ジョン・レノンという調教師さんを紹介してもらって、週末の土日に乗せてもらって。そこで初めて競走馬というものに携わって、基本的なことは全部その人から教わったんです。日本人って恥ずかしがり屋なので「対・馬」なんですけど、向こうは「馬は友達」という感覚なんですよね。
東 距離がぐっと近いんですね。
中内田 そうそう。だから「常に話しかけろ」って言われます。「何かあったら話せ。馬房にいても乗ってても、常に話しかけろ」って。話してることによって、自分もリラックスしますしね。馬と人の信頼関係というのはそこからなんだなって。当時は言われた通りにやっていただけですけど、今思うとそういうことだったのかなと思います。
東 大学ではどんなことを学ばれたんですか? 馬学科というのは日本にはあまりないですよね?
中内田 獣医学科はたくさんあると思うんですけど、馬専門のコースというのはないですよね。やるのはもう、馬に関すること全般です。馬の生態学、運動科学、獣医学も入ってきて解剖もありました。牧場も併設されていたので、生産から競走に行くまでの全過程を学んだり。
ちなみに馬学科は経済学部の一部なんですよ。「経済学部馬学科」で、卒業証書も2つあるんです。経済学部を出たのと馬学科を出たのと、2つの資格をもらえるんです。
東 卒業すると、幅広い仕事に就けるんですね。
中内田 そうですね。生産に興味がある人、中期育成に行きたい人、調教師になりたい人、いろいろな人が来ていて、いろいろな分野の勉強をさせてもらいました。そこを卒業して実際に調教師になった人もいれば、大手牧場のマネージャークラスであったり、活躍している方は多いですね。
東 先生ご自身もそうですもんね。その当時は、どのような未来を思い描いていたんですか?
中内田 大学時代はまだはっきりと、調教師になりたいというのはありませんでした。毎日馬に乗っていることが幸せでしたし、とにかくいろいろな経験をしたいというのが強かったんです。その時にしかできないことがあると思って、いろいろな人に会ったり、セリにも行ったり。今思えば、本当におもしろかったです。
東 すごく刺激的な大学時代を過ごされたんですね。
中内田 そうなのかもしれないですね。大学時代は楽しかったイメージしかないです。アイルランドにいた時の方が苦しかったですね(苦笑)。ホームシックにもなりましたし、英語も通じなかったですし。アイルランドに比べたら、大都会のイギリスはまさに天国みたいでした。世界にはまだ自分の知らないおもしろいことがたくさんあるんだって、希望でいっぱいでしたね。
東 2007年に帰国されて橋田厩舎に入られましたが、日本に帰るのがこのタイミングだったというのは?
中内田 フランケル厩舎にお世話になった後、ロバート・スキャノンの育成場で2歳のトレーニングセールの勉強をさせてもらっていたのですが、そこの主人が亡くなったんですね。
海外でたくさん経験を積ませてもらったし、もう自分でやるしかないと思って、日本で調教師になろうと思ったんです。
東 ちなみに、イギリスの大学を出ていらっしゃいますが、それでも日本の競馬学校には入らないといけないんですよね?
中内田 もちろんです。年齢的にギリギリ滑り込んで、半年間きっちり勉強しました。
海外での経験はあったとはいえ、改めて日本で学ぶというのは新鮮だったんですよね。日本の競馬のルールであったり、教えてもらって。
東 トレセンに入ってから5年というスピード合格で、技術調教師として藤原英厩舎と角居厩舎で学ばれたという。
中内田 そうですね。藤原厩舎では攻め専の1人のような感じで、重要な追い切りにも乗せていただきましたし、先生が馬術に長けた方なのでその辺も丁寧に教えてもらいました。
角居厩舎ではルーラーシップの香港遠征に同行して、海外遠征について教えていただきましたね。
お2人とは今でも親しくさせてもらっていて、厩舎経営のこと馬作りのこと、海外のことを話していたら、いつの間にか2、3時間経ってたこともありました(笑)。
東 どちらもトップ厩舎ですし、学ぶものがたくさんありそうです。
中内田 そうですね。藤原厩舎って勝率や連対率が高いんですけど、一戦一戦にこだわる姿勢というのを特に学ばせてもらいました。
東 中内田厩舎は開業3年目で、早くも去年の勝ち星も超えました。順調に伸びているように思いますが。
中内田 数字はそうでも、自分としては全然納得してないですね。中途半端な状態では出走させていないとはいえ、競馬に行って負けるということは、仕上げで何かが足りなかったとも思いますし。悔しい思いしかないです。
東 負けることの方が多いのも、競馬ではありますが。
中内田 たしかにそうで、負けることに慣れてくると聞いたこともあるのですが…正直、僕は慣れないです。
負けたら地面蹴ってますし(笑)。本当はバケツぐらい蹴りたいんですけど、そこは大人なので。重賞でも未勝利戦でも、どんなレースでも出すからには全部勝ちたい。
掲示板に載ればいいとか、そういう考えでは競馬に向かいたくないんですよね。出すからには勝つ。そのためには一頭一頭しっかり仕上げて、一戦一戦勝ちを意識することが大事だと思っています。
東 預託されている馬主の中には、シェイク・モハメド殿下もいらっしゃいますが。すごい人脈ですよね。
中内田 ゴドルフィンのマネジャーのジョン・ファーガソンと、アメリカにいる頃に親しくさせてもらっていて、そのご縁で預けてもらってるんです。
それでも、縁とか義理だけでなく、きっちり成績を出していかないと、自分の立場はないかなとは思っています。
日本の慣習とはやっぱり違うので、あっさり切られることもあると思いますので。
東 それはまたプレッシャーですね。
中内田 気持ちは引き締まりますよね。ただ、殿下は日本にとても興味を持っていますし、日本の現状を話すとちゃんと聞いてくださる方なんです。
「頑張れよ」という言葉もかけてくださいますしね。ただ、最後に「出来ることを証明しろ」とも言われます。
言葉としては厳しいですけど、そういうことをちゃんと言ってくださるので。目をかけてくださっているのは感じています。
東 海外馬券も発売になりましたし、日本の競馬と海外の競馬がどんどん近くなっているように思えます。
中内田 馬券の発売はいいことですよね。海外には、凱旋門賞の他にもおもしろいGIやトップクラスのレースがたくさんあります。どんどん海外へ行って、日本馬が強いことを証明できれば日本産馬の価値も上がりますし、
日本競馬の印象が世界に広まればファンも増えるでしょうし、僕らの刺激にもなりますからね。
東 日本馬のレベルが上がってるのは感じられますか?
中内田 すごく感じます。おそらくここ10年くらいで、高いレベルに来ているんじゃないでしょうか。僕がアメリカにいる頃に、シーザリオがアメリカンオークスを勝ったんですよね。あの時に「日本の馬は相当強くなったな」と思いました。
その後にロバート・フランケルがジャパンCに1頭連れてきて、それが最後の参戦になったんですけど、「もう日本に行っても勝てない。もう行かない」って言ったんです。「この人がそんなこと言うんだ」って、驚いたんですよね。
東 その言葉が物語っていますね。先生ご自身も、厩舎の馬で海外遠征は考えていますか?
中内田 ええ。どんどん挑戦していきたいです。アメリカのブリーダーズCは日本馬がまだ勝ってないので狙いたいですし、イギリスでしたらロイヤルアスコット、春ならオーストラリアが賞金高いので行きたいですよね。
東 海外のセリに行かれたり、凱旋門賞も現地に行かれたり、すでに世界中を飛び回っていらっしゃいますよね。
中内田 いやいや、ただフラフラしてるだけです(笑)。
やっぱり馬が好きなので、世界中の馬を見たいですし、セリがあれば顔を出してどういう傾向かっていうのも見ておきたいですしね。1回でも見ておけば、その馬がその後どういう活躍をするかも注目して追うことができますからね。
おととしとか去年知られるまでは中内田といえはダート。とにかくダートだけ買っておけば余裕でプラスだった。
ここぞという時には川田、武乗せてくるから覚えておく様に
因みにダノンプレミアムは中内田厩舎の最高傑作。ダービー迄は負けないので覚えておく様に
インタビュー読むと確かに一戦入魂ってかんじだね
馬主に合わせて上位騎手使い分け。そこまで外人信者ってわけではないってところとか
スポンサーリンク