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(長文になります)
吉田 照哉(よしだ・てるや)
1947(昭和22)年11月12日生まれ、70歳。
千葉県出身。
社台グループ創始者・吉田善哉の長男
慶大経済学部卒業後、社台ファーム入り
72年、フォンテンブローファーム場長として渡米する
現社台ファーム代表および社台スタリオンステーション代表取締役
主な生産馬は、ダンスインザダーク、アグネスフライト、ダイワメジャー、エイシンフラッシュ、ロゴタイプ、ジュエラーなど多数
日本のサラブレッド生産界を牽引(けんいん)する社台グループ。
その中核を担う社台ファームはネオユニヴァース、ハーツクライ、ダイワスカーレット、ヴィクトワールピサなど多くの名馬を輩出している。
代表の吉田照哉氏(70)は、二十歳のころから“馬一色”の生活だった。
馬術に励みながら、父に同行して海外のせりや牧場へ。今後の人生を決める名馬との出会いもあった。
競走馬を生産・育成する牧場、社台ファームを興した父、吉田善哉の長男である私は、小学生のころから馬以外の仕事をしようとは思わなかった。
だから、高校・大学で馬術部だったのは自然なことでした。
馬術部の同期のひとりが旧皇族竹田宮恒徳王の三男で、現日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恒和(つねかず)君で。
1963年の春、彼は横浜・日吉にある付属中から、私は東京・三田にある付属中から慶応高に進学して、高校・大学の7年間を馬術部で一緒に過ごしました。
彼の乗馬の技術には目を見張りましたね。
小学生のときから皇居内にあったパレス乗馬倶楽部に通っていただけあって、最初から話にならないくらいレベルが違った。
競馬で言うなら大差(10馬身超)。
未勝利馬とオープン馬ほどの差がありました。
高3のときに全日本の大会で優勝したほどですから、運動神経の塊。馬術に熱中しすぎたのか学業の方は…(苦笑)
私は、うまくなろうとは思っていたけど、先に見ていたのは牧場の仕事に生かすこと。
大学卒業後、千葉にあった社台ファームで牧場の仕事を始め、竹田君は五輪出場を目標に馬術に打ち込み、72年のミュンヘン五輪と76年のモントリオール五輪に出場。
目指すところは違いましたが、お互い「馬」に懸けたところは一緒でした
当時の牧場は、馬に乗る仕事はほとんどない。
1歳の秋から馬にまたがり、厩舎に入る直前にはいつレースに出してもいいほど仕上げることもある今と違い、
1歳の秋になったら競馬場に送って厩舎の人に乗れるように調教してもらう時代でした。
でも、それでは十分ではないと思い、従業員が馬に乗れるよう一生懸命指導しましたね。
https://i.imgur.com/oN3vNFD.jpg
https://i.imgur.com/MGa41Em.jpg
休養で牧場に帰ってきた馬に障害を飛ばせ、飛越が上手だと調教師に伝えて障害レースに使ってもらうこともありました。
ムチを持って馬にまたがり、放牧している馬を追って走らせる「追い運動」が日課。私が追い運動をしているシーンが、アリナミンのコマーシャルに使われたこともあるんですよ。
馬術部の同期は仲が良く、今でも年に2回は会っています。竹田君には、新千歳空港の近くに馬の体験型公園「ノーザンホースパーク」(89年6月開業)を造ったとき、厩舎の設計などを頼みました。
工事中に一緒に馬に乗ったら「馬術部のときよりうまくなったな」って褒められた。
馬術部では一日に1頭しか乗れなかったけど、牧場では仕事で5、6頭は乗らなくてはならないんですから、うまくなるのは当然、という思いでしたね。
竹田君からは、駐車場運営・管理の最大手「パーク24」の創業者である西川清さん(2005年に死去)を紹介されたことも。
西川さんはそれがきっかけで馬主となり、私の生産馬であるマンハッタンカフェでGIを制覇。
高校からの付き合いなので竹馬の友とはいえませんが、私が競走馬の牧場を経営していることを気に掛けてくれていたんだ、とうれしかったですね。
育成を改善すれば良いってもんじゃ無いし
持ってる牝馬に差があるんだよ
馬繋がりでそんなパイプあったとは
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二十歳のころ、大きな転機が訪れました。
大学に入ったばかりの私を、父の吉田善哉が海外に連れて行くようになったのです。
父には英語が多少話せて車を運転できる便利な奴だったのでしょうが、米国のサラトガで、初めて海外のせりを見たときのことは忘れられません。
見る馬のほとんど全てが素晴らしく、すごく驚いたのです。
それから数年後の1972年、衝撃を受けたサラトガで、人生を左右する馬と出会いました。
そこで購入したノーザンテーストです。
米国キーンランドのせりが終わると、父は「あとは任せる」と帰国。大学を出たばかりの私が全てを託されました。
使命は、種牡馬にするノーザンダンサー産駒の1歳馬を買うこと。
各国のせりを回って、父と「あの馬は、いい子を出す」と意見が一致していたので、種牡馬にするならノーザンダンサーの子と決めていたのです。
せりには4、5頭のノーザンダンサーの子が出ていました。上場馬全ての特徴を把握できるほど、特にノーザンダンサー産駒は穴の空くほど見ました。
断トツだったのが4日目に上場される栗毛の馬。
小さかったですが、米国で種牡馬を見て回っているうちに、優秀な種牡馬は思いの外、小柄な馬が多いことが分かっていました。
要は馬がいいかどうか。「買うならこの馬しかいない!」とせりに臨みました。
10万ドル(当時のレートで3080万円)からスタート。すかさず手を挙げました。ところが誰も競りかけてこない。しばしの沈黙のあとでハンマーが打ち下ろされました。落札。
20万ドルまでは競るつもりだったのであっけなかったですが、それ以上に喜びの方が大きかった。
再び米国にやってきた父は、体の小ささよりも尻尾の毛が少ないことを気にしていました。
尻尾の付け根は細いより太い方が競走馬としていいからです。
尻尾を持ち上げると、「大丈夫だ」。太いことを確認して納得の表情を見せました。
ノーザンテーストと名付けられた10万ドルの馬は、フランスでデビューして2歳時にGIIIを2勝し、英国に遠征した3歳クラシックは善戦止まりでしたが、秋にフランスGIのフォレ賞を制覇。
ノーザンダンサー産駒が高騰したことで、100万ドルで買いたいというオファーもありましたが、種牡馬にするために買った馬なので断りました。
60万ドルで購入して北米最優秀3歳牡馬に輝いたワジマは、
種牡馬入りの際に株を売りましたが、ノーザンテーストだけは「これを売ったら終わり」と、絶対に手放しませんでした。
日本で種牡馬入りしたノーザンテーストは、11年連続でリーディングサイヤー(年間最多獲得賞金種牡馬)に輝くなど大成功。
牧場の屋台骨になってくれました。
それにしても、あそこまで成功するとは奇跡ですね。ノーザンテーストを買ったのが、人生で最も幸運なこと。
牧場だけでなく、私の礎を築いてくれたのですから。
1972年の11月、私が25歳になったばかりのとき、父が大きな買い物をしました。
馬を買うのが大好きで「趣味はショッピング」が口癖。
日本に連れて行く繁殖牝馬はもちろん、デビュー前の1歳馬も将来の種牡馬候補として買っていました。
そのときも父は米国キーンランドのせりを訪れていました。
ところが、痛風を発症。ホテルで何もできないため“買い物欲”が高まったのでしょうか、
ある商談に飛びついたのです。
「牧場を買ったぞ」。
なんとケンタッキー州の牧場を購入してしまったのです。父の人生は攻めの一手。
座右の銘は「石橋はたたいたら渡れない」。
つまり「たたかず渡れ」。とにかく牧場を大きくすることしか頭になかったようです。
しかも「お前に経営を任す」。
米国の従業員の給料の相場すら全然知らないのに、いきなりポンと行かされることになったのです。
つらいこともたくさんありましたが、場長として過ごしたフォンテンブローファームでの4年間は、実に勉強になりました。
いい馬をたくさん見たのもそうですが、
厳しい現実を体験できたのは大きかった。
米国は、高い馬は何億円だけど、安いのは10万円という世界。
私が相当いいと思っている馬でも、そんなに高く売れなかった。
米国では、いい繁殖牝馬にいい種牡馬を付けて、しかも良く生まれなくては高く売れない。
また、大牧場はいい種牡馬をより多く獲得していると気付きました。
今の社台ファームの経営体制そのものです。
笑ってんだかキレてんだか
元々怖かったのが年で顔が緩くなってきついのと緩いのが混ざってる感じ
当時は赤字経営に頭を抱える日々。
馬は売れないし、どうやって採算を取ればいいのか悩んで、毎日計算ばかり。
ノイローゼになる寸前でした。
そんなとき、牧場から馬が逃げてしまった。
保護されたのは2キロ離れたストーンファーム。
日本人形を持ってお礼へ行くと、小屋みたいなかわいらしい家で暮らしていたのが牧場主のアーサー・ハンコックでした。
4歳上のアーサーは、世界的大牧場であるクレイボーンファーム場主の長男。
しかし父の死後、相続できずストーンファームを立ち上げました。
ブルーグラスミュージックという、米国の演歌を愛する彼は、ギターを持ってきて自作の歌で歓待してくれたのです。
当時のケンタッキー州はまだ太平洋戦争の残り香がある時代。
日本人をばかにする風潮がありました。
しかし、博愛・平等主義者のアーサーは、私に対して日本人だからといって差別するところはみじんもない。友情が始まりました。
彼との親交によって、その15年ほど後にハーツクライやディープインパクトの父として希代の大種牡馬と呼ばれることになるサンデーサイレンスを日本に導入できたのですから、人生は不思議です。
現役中にトレードを持ちかけると「4分の1の権利なら」と言ってくれたのです。
少しでも所有していればいつか日本に持ってこられるチャンスが生まれるかも。
内心そう思って買ったら現実に…。
サンデーサイレンスがいなかったら、日本の競走馬生産は欧米に追いつくことはなかったでしょう。
そう思うと、本当に幸運でした。
父の吉田善哉が“衝動買い”した米国ケンタッキー州の牧場、フォンテンブローファームで場長として過ごした4年間は、採算が取れず悩みながらも、馬乗りも生産も経営も全て、若さゆえの一生懸命さで乗り切りました。
もちろん、楽しみも喜びもありました。
北米3歳王者に輝いたワジマが走るときは喜び勇んで競馬場へ行ったし、アーサー・ハンコックと出会えたのも幸運でした。
そして、私と同じ日本の若きホースマンとの出会いも大きな財産になりましたね。
1973年7月、キーンランドのせりで1歳のワジマを当時の史上最高価格の60万ドルで落札直後、預けていたクレイボーンファームに馬を見に行ったときでした。
「面白い日本人がいるよ」と牧場のスタッフに言われたのです。
「オカーダ!」と従業員が笑いながら呼ぶと、厩舎の2階から寝起きの顔をした長身の男が降りてきました。
これが、後にビッグレッドファームグループの代表となる岡田繁幸との初対面。
スタッフにからかわれる姿を見て「アメリカ人に人気があるな」と思ったものです。
異国の地で出会った同世代の日本人同士だけに、すぐに親しくなりました。
うちの牧場に来ると、必ず日本のレコード、森進一らの演歌を聴いていましたね。
そしてよく食べる。
永坂更科のそばには目がなかったですね。乾麺はゆでるとすごく増えるので、一把の半分を入れようとすると「全部入れろ!」って。
「半分くらいが適量」と言っても「大丈夫」の一点張り。特盛りのそばをペロッと完食ですよ。
日本の味に飢えていたんでしょうね。
異国で寂しかったんだと思いますよ。
米国人スタッフの言う通り、面白い男だった。
自虐的というか、自分の失敗を面白おかしく話すなど、変に自分を飾らない。
うちの父は「あいつはコメディアンだ」と言ってました。
でも、人に気を使うことも知っていて、素晴らしい人物。食うに困らない男だろうな、と思いましたね。
繁ちゃんが
「牧場にすごい馬がいるんだ。こんないい馬はいない」と、興奮気味に世話をしている1歳牝馬のことを語っていたのは忘れられません。
その馬は、後にデビューから10連勝でニューヨーク牝馬3冠を達成したラフィアン。
日本に戻ってから彼が作ったクラブ法人の名前は、サラブレッドクラブ・ラフィアンです。
彼にとって、それだけ思い入れ深い馬なんですね。若いころ、ラフィアンのような名馬にじかに接したのは、彼のその後の人生にとって大きかったと思います。
繁ちゃんは、半年ほどで米国を去ることに。
就労ビザなしで働いていたため国外退去となり、私が紹介した英国のジョン・ウィンター厩舎へ移りました。
米国での付き合いは短いものでしたが、彼は戦友みたいなもの。
一生の付き合いになると思ったら、案の定です。
でも米国のことがあるから、彼が偉そうなことを言っても平気。
「何を言うか!」ですよ(笑)。
終わり
種付け推定見るとジャスタウェイが出る前から可能性を見いだしてたし照哉のほうは見捨ててたからな
照哉氏がノーザンテーストを買わなきゃ
今の日本競馬はなかったって
分かってる?
ダイワメジャー、ダイワスカーレット、
ヴィクトワールピサ、ネオユニヴァース、
アグネスタキオン、ハーツクライ、
ダンスインザダーク、バブルガムフェロー、
マンハッタンカフェ、ダンスインザムード、
ダンスパートナー、デュランダル、
ザッツザプレンティ、スティンガー、
イングランディーレ、アグネスフライト、
エアシャカール、ジェニュイン、
スクリーンヒーロー、ファイングレイン、
キャプテントゥーレ、レッドディザイア、
エアジハード、カレンチャン、
グレープブランデー、ロゴタイプ、
トーセンラー、ストロングリターン、
エイシンフラッシュ、ベルシャザール
カッツミーばかりで見てる人らは照哉氏が
これだけいい馬を作っているのを知らない
改装してノーザンF天栄、しがらきに対抗できる
実力を持ってもらわないとなぁ…
総帥のやつの方が面白い。
火事になって照哉からのラフィアンについての絵はがき燃えちゃったけど生き証人いるから~のくだり
青二才に買ったばかりの牧場丸投げとか
はっきり言っていつどうなるかわからんのじゃないか
普通の会社経営より綱渡りだと思うわ
日高大洋牧場の火災みたいな事もあるしなぁ
あの時は繁殖牝馬19頭が焼死してエガオヲミセテやスペの姉で唯一シラオキの血を引いていたオースミキャンディ等も死亡したが
もし社台SSの種牡馬房が家事で全焼してリーディング上位種牡馬が全滅なんて事になったらそれこそ一巻の終わりだしな
有珠山噴火で牧場がダメになって解散したメジロの例もあるしねえ…
日高大洋牧場とエガオヲミセテが死んだ火事は別だぞ
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親父さんが衝動買いで牧場買って、息子に丸投げ。
牧場の馬が脱走、隣の牧場が保護してくれて日本人形持ってお礼を言いに。
そこで繋がりできてサンデー買えたとか、もう偶然ってレベルじゃないわ。そういう運命だったんだろうな。
凱旋門賞を現地に観戦に行ってて、レース後バーで飲んでたら勝った馬の関係者が祝勝会してて
エージェントが知り合いで紹介してもらって、購買の話になってあれよあれよと話がまとまってトニービン買えたとかもね。
「ディープインパクトはサンデーサイレンスの足元にも及ばない」とかさ
だいぶディープファンの気持ちを逆なでして冷や水ぶっかけてるぞ…
外厩で差がついてんだし
もうちょい改装していいだろ
山元トレセンは
来年の社台F
古馬:ギベオン、ステイフーリッシュ、スティッフェリオ
短距離:ナックビーナス
ダート:ノンコノユメ
3歳牡:ヴァンドギャルド
3歳牝:シェーングランツ
エアウィンザーが真打だよ
2018年度
1ノーザンファーム1,601,832万円
勝率:13.2% 連対率:24.2%
2社台ファーム
630,767万円勝率:8.1% 連対率:16.7%
3社台コーポレーション白老ファーム
205,547万円勝率:8.7% 連対率:16.8%
4ダーレー・ジャパン・ファーム144,655万円
勝率:9.6% 連対率:17.1%
5下河辺牧場138,410万円
勝率:8.3% 連対率:16.0%
6岡田スタッド94,566万円
勝率:5.8% 連対率:11.4%
7三嶋牧場89,524万円
勝率:9.4% 連対率:18.0%
8追分ファーム87,241万円
勝率:7.7% 連対率:17.0%
9ノースヒルズ83,380万円
勝率:8.0% 連対率:17.5%
10ビッグレッドファーム78,000万円
勝率:4.9% 連対率:10.1%
11千代田牧場77,160万円
勝率:6.8% 連対率:14.3%
12辻牧場73,063万円
勝率:7.2% 連対率:13.9%
13グランド牧場58,536万円
勝率:7.0% 連対率:16.5%
14レイクヴィラファーム57,830万円
勝率:11.5% 連対率:19.8%
15ヤナガワ牧場57,660万円
勝率:7.3% 連対率:14.7%
照哉の功績が偉大なのは事実だよ
ただ自ら日本競馬を切り拓いてきた自負がワンマン化に拍車をかけてしまい、
彼の周りにはイエスマンだけが残った
社台ファームでは優秀な人材が育たず、ノーザンに大きく差をつけられ続ける結果を招いている
馬本位、成長によって使い出すので無理に乗り込まないとかね
ノーザンの育成は毛並みツヤツヤでガンガン室内坂路で乗り込んで早くから筋肉付ける
社台は運動程度で折り合い重視の馴致、強い馬は未完成でも強いから焦らないってスタイル
みるよりは全然マシなんだけどね
疲労と超回復のスパンを計り
全体で馬質を上げるってのは
照哉さんとこの馬でやってたな
結果、馬は長く活躍できる体質を作れて
馬主への還元度が高くなる
デュランダル、ララベル、ロゴタイプなんかまさに息の長い活躍をしてくれた
社台グループは故吉田善哉会長から吉田三兄弟への相続が奇跡的に成功しただけで
数十年後にはどうなっているか知れたもんじゃない
結局馬産はどんな時代になっても本質的にギャンブルだし
そうならないように規模の拡大とクラブの充実でヘッジしている
リーディングブリーダーには君臨してたけど吉田善哉の社台ファームは
サンデーサイレンス産駒が登場するまでG1(特にクラシック三冠レース)で苦戦してた。
フジキセキが朝日杯3歳Sを勝つまでの八大競走・G1勝ち馬
千葉
シャダイターキン(優駿牝馬)
白老 現社台コーポレーション白老ファーム
コウユウ(桜花賞)、ニチドウタロー(天皇賞・春)、
ダイナカール(優駿牝馬)、スクラムダイナ(朝日杯3歳S)、
ダイナコスモス(皐月賞) 、サッカーボーイ(阪神3歳S、マイルCS)
千歳 現社台ファーム
ダイナガリバー(東京優駿、有馬記念)、イブキマイカグラ(阪神3歳S)、
アドラーブル(優駿牝馬)
早来 現ノーザンファーム
アンバーシャダイ(天皇賞・春、有馬記念)、シャダイアイバー(優駿牝馬)、
シャダイソフィア(桜花賞)、ギャロップダイナ(天皇賞・秋、安田記念)、
レッツゴーターキン(天皇賞・秋)、 ベガ(桜花賞、優駿牝馬)、
サクラバクシンオー(スプリンターズS)
昔から劣勢だったということか
グループで掲示板を独占した2003年ダービー時に照哉氏は善哉さんに見せてあげたいと言ってた
みんなノーザンノーザンって言ってるけど
まぁ急ぎすぎたな
ノーザンなんて基礎は全部早田が作ったもんじゃん
ビワハイジしかり
天栄しかり
照哉さんとこが均衡を作れる状態まで
上向けれるかは2019年の競馬の楽しみの1つやな
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