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藤田 プロフェッショナルジョッキー
牧原 パートジョッキー
こんな認識だな
細江は勝てないけど
初年度の成績見たら一目瞭然
牧原は腕はあったが当時の閉鎖的な関東では菜七子ほど乗せてもらえなかった
増沢が閉鎖的だっただけだろ
根本は馬場掃除でもいいから乗せてくれってさんざん営業してくれてたやん
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割と入学はしてるみたいやが途中で脱落しとんのか?
初年度は馬場掃除馬には乗っていなかった。
G1勝たない限り菜七子でも引退式のラストランに乗せてもらえないだろう。
菜七子はアンチのせいで過剰に批判されすぎてる
藤田はどさまわりでレースに慣れたような。
これからどうなるか。
それはさておき顔は牧原が圧勝
厩舎の方向性もあるしどうなんだろうね~
牧原はコミュ障だし地方回りなんてしないだろ
まだ、西原のほうが可能性はある
ナナコの教官の記事↓
優駿、渡邉教官談
「増沢もうまいと言われたけど、ぼくのイメージでは、比じゃない。菜七子にはセンスがある。センスは教えられないんです」
中3で高校生に混じって馬術全国3位。女子ということもありそっちの道を勧めたが、本人はあくまで騎手になりたいと断った
渡辺教官とか知らんけど
でも、根本が模擬レース見た本音
「駄目だこりゃ、これがうちに来るの?w」じゃなかった?
まあ、色々脚色されてるから何が本当かわからんけどね。
実はね、模擬レースの1戦、2戦、3戦見てて、『あ~これは無理だ』と思ったんですよ。
蓑田さんにも言ったんだけど、『ちょっとキツイんじゃないの?ジョッキーとしてやっていけないよ』って。
でもだんだん模擬レースを重ねて、これならなんとかっていうくらいにはなったし、
最後の模擬レースで勝った時は、まあ普通になったのかなと。
tps://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=33732
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優駿2019年10月号「騎手・藤田菜七子ができるまで」記事抜粋
(藤田のジュニアチーム時代の指導者)
角野が騎手をめざす女子を指導するのは藤田が3人目だった。
最初は東京競馬場の乗馬センターで牧原由貴子を教えていた。ふたりめは競馬学校で、その女子生徒は休学、20歳で亡くなった。
はじめて藤田を見た角野は、ジュニアチームに合格するだけあって、中学3年にしてはかなり高いレベルにあると思った。
「中学生のときの牧原と比べると、数段上だった。競馬学校にもそう報告してましたよ。牧原は学校時代はうまかったらしいけどね」
ジュニアチームの中学3年生は8月初旬におこなわれる「最終選考会」に合格すれば、競馬学校の一次試験が免除となり、二次試験に進む特権が与えられる。
ところが藤田は、この「最終選考会」に落ちている。落第の原因は体力面だった。馬術の技術はまったく問題なかったが、能力の高い馬に乗ると、力負けして制御できなくなることが多々あったのだ。
「乗馬の世界だったらやっていけるかもしれないけど、乗るのは競走馬ですからね。体力面、筋力面でどうだろうねという話しになって、もう一度一次試験からしっかりと受験させたほうが彼女のためになると」
ジュニアチームの生徒が一次免除にならなかったのは藤田がはじめてだった。本人は相当落ち込んでいた、と角野は当時をふりかえる。
それでも一般の受験者のなかに入れば実力は際立っていた。運動機能も学科も面接も問題なくクリアし、二次試験も楽に突破した。
競馬学校に合格したあと、12月におこなわれたスポーツ少年団の馬術大会で藤田は全国3位に入賞している。
各地の予選を勝ち抜き、全国大会に進む選手のほとんどが高校生である。そのなかで中3の女子が3位になったのだ。
もし、体力不足で騎手をあきらめていたとしても、馬術選手として高校大学の高いレベルで活躍しただろう。
「でも、あいつはジョッキーになりたかったからね」
角野はたのしそうに言った。
◇
ただ、騎手として成功と失敗の分かれ目は勝負に対しての貪欲さが牧原は菜七子ちゃんの足元にも及ばない
昔の競馬村の人間は頭が古臭いのも有ったけど勝負師でもあったから、そこを見られてた気がする
センスがずば抜けてあるわけでは無い。
でも、他の世代と違って、努力、辛抱、耐え忍ぶ、成り上がり、意地
なんかこの言葉が妙に似合う、実は野花だった花の12期生
牧原はその中でトップクラスのセンスだったはず。
でも、初めから凄いって言われる騎手がいない同期だからなぁ。
競馬学校騎手課程に女子生徒が入学するのは4年ぶりだった。
元騎手の教官、簑田早人は合格しながらやめてしまった女子生徒をふたり見ていた。女子を教えるむずかしさを感じていたひとりだ。
簑田はジュニアチームではじめて見たときから藤田の技術は申し分ないと思った。
一次免除の選考には落ちたが、一般試験なら合格するだろう。
しかし、問題はその先にあった。学校生活をちゃんと送れるか、預かってくれる厩舎が見つかるか。
ただでさえ新人騎手を預かる調教師がすくなくなった時代である。それが女性となればなおさらだ。
簑田は厩舎社会が女性騎手をどんなふうに受け入れてきたか、中から見て知っている人間である。
当時、生徒を受け入れてくれる調教師を探す役も担っていた簑田は、藤田が合格する前に根本康広に会いに行っている。
「こんな女の子がいるんだが」と簑田は藤田の所属先について相談した。
「預かってくれる厩舎を探しているんだが、引き受けてくれそうな人がいたら紹介してくれないかな」
「困っているんでしたら、うちで預かりますよ。野中は年齢も近いし、むかしみたいに兄弟子がいれば、いいんじゃないですか」
そのとき、根本は軽い気持ちで返事をしたのだが、いつものようにあかるい口調に簑田は安心した。これでひとつ大きな問題がクリアできた。
◇
藤田うまくなったと思うけどね
前走ハナ切って楽勝した短距離馬を
逃げ馬の後ろで我慢させて直線だけ外出して
突き抜けた先週のレースとか
2013年4月、競馬学校騎手課程に入学した藤田は順調に学校生活をおくっていた。
乗馬の技術はトップレベルなのだ。しかし、しだいに体力、筋力面での差を感じるようになっていく。
担任の教官4人のなかには美浦の乗馬苑で藤田に乗馬を教えてきた渡邉雅也がいた。渡邉は当時をふりかえって言う。
「我々も、どうやって女の子を育てていけばいいのか、手探り状態でした。菜七子は乗馬の技術があったけど、男子と比べると、パワーという面では差があった。おそらく自分でも、思うようにできないもどかしさを感じていたと思います」
競馬学校では、彼女の体力面を強化してあげようということで、授業が終わったあとに補習という形で1頭多く乗せたりしていた。
もしかしたらそれに引け目を感じ、彼女を追い込んでしまったのかもしれないーー。あとになって教官たちは思った。
藤田自身も、男子についていけない焦りがあったのかもしれないが、元気がなくなり、落ち込んでいくのが目にみえてわかった。
競馬学校の騎手課程では精神面で辛くなってきた生徒には、メンタル面をケアしながら対応しているが、それでもむずかしいときには一度休ませて、家に帰すこともある。
精神的に不安定な状態で馬に乗せても危険なだけだ。いまはトップジョッキーとして活躍している騎手でも、挫折してやめようとし、親と相談しながら説得したこともある。だれもがそうした危機を乗り越えてプロになってきた。
藤田も一度休ませて、家に帰したのだが、1ヶ月半後に学校に戻ってきた。渡邉が言う。
「一度、家に帰ったら、そのままやめてしまう子もいるんですが、菜七子は、家で自分を見つめ直して帰ってきたんです」
渡邉ら担任の教官たちは、藤田にはすこしランクが落ちる馬を載せるなどして、まずは自信をつけさせることにした。
無理をさせずに、ばあいによっては4年計画で、しっかりと訓練を詰んでから卒業させてもいい、という考えを教官たちは共有していた。
◇
一度家に帰ってそのまま辞めるのは解るな
そこで戻ってくるナナコがやっぱスゲーよ
根性あるよな~
藤田は平場ならそこそこ信頼できる
元々重賞はあまり手を出さず平場を豆券で楽しむおっさんには
こういうジョッキーがいるのは購買意欲が進む
後は彼女に続く女性が現れるかそしてモノになるかが重要
上手いか下手かと言われたらまだ後者だが
これからジョッキーを目指す女の子には憧れに映るタイプ
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