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アパパネと達成した10年の牝馬3冠など大舞台でも結果を残し続けた。だが、エルコンドルパサー(99年)、ナカヤマフェスタ(10年)で挑んだ凱旋門賞が2着惜敗。
25回挑戦したダービーも2度の2着(12年フェノーメノ、14年イスラボニータ)が最高だった。
「俺は残念な騎手。武豊には勝てない」と漏らすこともあった。だが、引退が目前に迫った今、その表情はすがすがしい。「勝てないレースもあったけど、やりきったかな。勝つために関係者に求めるレベルは高かったと思う。“あいつ、うっせーな”と思われていたかもしれない。でも、それがあったからここまでやれたと思う」
競馬学校からの同期・武豊は歴代最多4254勝を挙げる“日本競馬の顔”。友情とリスペクト、そして蛯名にしか分からない感情を抱えながらの騎手人生だった。「(同期で)楽しいというのとは少し違う。でも彼がいたから頑張れたし引っ張ってもらった。豊がいなければ今の自分はない」。今後は調教師として武豊とタッグを組むチャンスも。「そうなればいいね。競馬が盛り上がってくれれば」。照れくさそうに笑った。
ラストランの中山記念(ゴーフォザサミット)がいよいよ迫る。「こういうチャンスを頂けて感謝しかない。最後まで集中したい」。自他にストイック、それでいて人間くさい。その姿にファンは自身を投影し、勇気づけられた。蛯名は蛯名らしく最後までガムシャラに馬を追う。
【同期の武豊も別れを惜しむ「寂しくなるね」】競馬学校の同期、武豊(51)も“騎手・蛯名”との別れを惜しんだ。
13日の阪神10Rが最後の同レース騎乗(蛯名2着、武豊5着)に。
「レース前“一緒に乗るのはこれが最後やね”と、どちらからともなく言ったのかな。感慨深いものがあった。寂しくなるね」と語った。「エビちゃんとは競馬学校生の時から今に至るまで同じ時間を過ごしてきた。ライバルという感覚よりも特別な存在。基本的に真面目で不器用だけど一生懸命にコツコツとこなしていくタイプだった」。
今後は調教師と騎手としてタッグを組むケースもあるはず。「一緒に勝っていく関係性も楽しみだよ」と締めくくった。
アパパネやマツリダゴッホ、ダノンプラチナで厩舎に貢献してくれた。調教師としてのエール?自分は1年目から“他の厩舎と同じことをしない”ということばかり考えていたよ。
言い方は悪いけど出し抜こうとしていた。
本人はやる気満々だろうし、何だか自分まで初心に帰るような気持ちだね。
(蛯名のG1初勝利となった96年天皇賞・秋=バブルガムフェローを管理)思い出に残るレースは多い。
調教師としては一からのスタートだけど騎手時代の経験がきっと生きるはず。
最後はうちの馬(ゴーフォザサミット)で花道を飾ってもらいたいね。
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蛯名正義騎手×小島太元調教師特別対談 蛯名「ダービー、凱旋門賞勝ちたい」
小島太氏(以下、太)「俺は48歳で引退したけど、正義は51歳か。実は、俺は早い時期から調教師を勧めていたんだよ」
蛯名(以下、蛯)「確かに言われていましたけど、当時はそんな気持ちはなかったんですよね」
太「正義は昔のホースマンの感覚を持っているから。それとトップの馬の感覚って、口で言えないものもある。だからその背中を知る正義が調教師になれば、もっと成功するんじゃないかと思っていた」
蛯「小島先生が引退したり、(エルコンドルパサーを管理した)二ノ宮(敬宇)先生が勇退したり、ほかにも調教師をやればという声をいただいたりと、いろいろなタイミングが合致した感じですね。今も乗り役をやれるけど、できなくてやめるんじゃなくて、エネルギーがあるうちにそこに注がないと。騎手ができなくなったから調教師をやる、というような簡単な仕事ではないと思っているので」
―お互いの印象を教えてください。
太「ひとつ自慢できることがあって。正義はデビューした頃から見ていたけど、道中はスラッと乗るわけよ。馬に負担をかけないで、きれいに乗っていた。ただ直線に入って追い出した時にすごく迫力があって、『おっ』と思った。久々にきたなと。武豊と同期で当時は10分の1も注目されてなかったけど、この騎手は絶対トップになると。結構、見る目あるんだよ(笑い)」
蛯「騎手時代の先生のイメージはピンク。僕がジョッキーになる前から『サクラ(軍団)と言えば』という感じで、同じ騎手としてデビューした当初もサクラの馬はオープン馬ばかり。ずっと主戦をやっていて、すごいことだと思っていました」
太「俺はずっと評価していたけど、現役の時はヨイショはしなかった。同じ騎手としてライバルという意識があったから。自分よりうまいと認めるようなもの。乗っている限り、騎手をやめるまで絶対に負けたくなかった。嫌らしい性格してるよな(笑い)」
蛯「勝負師ですよね(笑い)」
太「でも本人には言わなかったけど、周りにはあの騎手はすごいぞと言っていたんだよ。気分が良かったのは、俺が騎手をやめて正義に任せたサクラキャンドルが勝った時(96年の府中牝馬S)、谷岡牧場の谷岡さんが『太さんに似ていて、蛯名さんかっこいい』って言ったんだ。太さんに似ていてと言われて、本当にうれしかった。それで腹の中でうちの厩舎の主戦でいくと決めた」
―お二人のコンビの代名詞と言えば、G1・3勝のマンハッタンカフェです。
蛯「デビューした時からクラシックを勝てる馬だと思っていました。ただ、おとなしそうに見えるけど、精神的にすごくナーバス。牧場から美浦に戻ってくるだけで20キロ減っちゃう。でも、絶対に良くなるから(3歳の)春はあきらめようと」
太「夏場になって本当にそういう馬になってきた。デカくてだらしなかった馬が、札幌の短い直線で差し切った。これはいけるぜ、と思ったよ」
蛯「今でも覚えているのが、菊花賞の前の週に父が亡くなったんですけど、レース当日の馬場に出て行く時『大丈夫、親父がついているから』と(小島氏が)声をかけてくれて。本当にあの言葉はありがたかったですね。頑張れよとか、そういうのとは違ってスッと入ってきたし、自信みたいなものに変わりました。もちろん絶対に菊花賞を勝てると思って臨んでいたけど、すごく楽に乗れました」
太「似すぎていてね。実は俺も経験していたんだよ。自分の親父が死んだ時、火曜日に葬式をして水曜日には追い切りに乗って。それでその週に勝ったことがあった。競馬はメンタルもすごく大事だからね」
蛯「マンハッタンカフェは長いところだけの馬じゃなかった。そこしか走らなかっただけで。普通に秋の状態で使えていたら、当然、ダービーも勝負になっていたと思います」
太「皐月賞だっていけたよ」
蛯「あの馬が一番良かったのは有馬記念(01年=1着)。やってもやっても減らなくなって、どんどん膨らんでいった。逆に良くなりすぎて限界を超えてしまうところがありましたね」
太「凱旋門賞(02年=13着)はスタートが絶好で折り合いから何からクリアして、よし正義!って思ったんだけどな。3~4コーナーの下りに入ったときに(脚に)きたんだろう。死ぬまで言い続けるけど、故障してなかったら絶対勝ってた。怖くなるくらいの出来だったからね。でも夢をかけられたから」
蛯「なかなかいけないですよ。チャレンジする馬を管理するということだけでも、すごいことだと思います」
太「ダービーは勝てなかったけど(25回騎乗して2着2回)、いい騎手人生だったんじゃないかな。リーディングも取ったし、凱旋門で2着が2回(99年エルコンドルパサー、10年ナカヤマフェスタ)もあるんだから。アパパネとか、たくさんの良い馬にも巡り合えて」
蛯「いろんな意味で、大きなレースに何回も乗せてもらって本当にありがたいと思っています」
太「今どき珍しい義理堅い人間。それがなかったらマンハッタンカフェには乗せていなかった。欠点も長所も知っているけど、調教師は絶対できると思う。騎手のすべてをやり抜いた本当のジョッキーだから。本当の本物のホースマンだから。そういう人が調教師をやるべき」
蛯「なんで調教師をやろうと思ったのかな?と考えた時、今までは自分のために騎手の仕事をしてきた。でも、調教師になると馬主さん、ジョッキー、厩舎スタッフだったりいろんな人たちとの仕事に変わる。もちろん自分が乗り役で勝てなかったダービー、凱旋門賞も含めて大きいレースを勝てればいいなと思うけど、今度はお世話になった人たちを自分がそういう舞台に連れて行きたい。『凱旋門賞に一緒に行きましょう』と、そういうふうになればいいなと。たくさん与えてもらったので、今度は恩返しというか、与えられる側になれたらいいなと思っています」
―最後にファンにメッセージを。
蛯「調教師試験に挑戦した3年間、自分の中では、ジョッキー蛯名正義を応援してくれていたファンの期待を裏切ったという葛藤がありました。両立できるんじゃないかと思っていたけど、実際にやってみたら、とてもじゃないけど間に合わなかった。勉強もしないといけない、競馬のことも考えないといけない。年齢も年齢だし、やっぱり不器用だから一つのことしかできなかった。ファンにはものすごく申し訳なかったなという思いはありますけど、今度は調教師の蛯名正義も頑張るので、また応援してもらえたらうれしいですね」
柴田善臣、蛯名引退に「俺より先にやめるのか」
▼サンアップルトンに騎乗する柴田善臣騎手(54) 何だ、やめるのかという感じ。年の近い人間が俺より先にやめるのか(笑い)。いつも一緒にいるのが当たり前だった。以前は一緒に飲んでいたし、若い頃は楽しくやっていた。やる気があるし研究心もあるし、いい厩舎になるのでは。
▼バビットに騎乗する内田博幸騎手(50) 一緒に乗れたことがこの先、励みになるし宝物になると思う。ここでお互いが終わりじゃない。立場は変わりますが、先輩としていい目標であってほしいですね。ジョッキーとして蛯名正義厩舎の馬を頼まれれば。どういう厩舎になるのか楽しみですね。
ウチパク(50)にびっくりしたわ
武豊「特別な存在」蛯名へ惜別、今度は一緒に勝利を
今週は土日とも別々の競馬場で騎乗するため、蛯名騎手と同じレースで戦ったのは13日の阪神10Rが最後になった。
「10Rが終わって『最後だね』とか少ししゃべった時は感慨深いものがあった。この世界に入った時から一緒。ライバルというのとは違う、特別な存在。競馬学校時代から、最初から何でもできたわけではなくて、どちらかというと不器用で、一生懸命やってクリアしていくタイプ。まるっきり同じ時代を生きてきた。一緒に乗れなくなるのはさみしい」
惜別の思いを口にする一方で、3月から始まる新たな関係も楽しみにする。
「これからは調教師と騎手の立場。今までになかった関係で、一緒に勝利を目指すことができる。『蛯名調教師』がどういう馬をつくるのか興味がある」
来月にはそろって52歳を迎える。蛯名騎手いわく“腐れ縁”の仲は、まだまだ続いていく。
蛯名騎手の「去り際の美学」 決意を胸に新たなステージへ
「引退の美学」とは―。記録にも記憶にも残る蛯名正義騎手(51)=美浦・フリー=が、2月28日で34年の騎手生活にピリオドを打ち、調教師に転身する。「最後」へのカウントダウンに入っても茨城・美浦トレーニングセンターで黙々と馬に乗る姿はいつもと変わらない。21日の小倉でも今年初勝利を挙げ、勝負への執念も決して変わらない。「まだ、乗れるのに残念」の声は多くの関係者から聞かれた。では、なぜ辞めるのか?
本人が胸の内にある思いを紡ぎ出した。調教師転身は、「はじめは頭になかった」と話すが、「小島太調教師(GI・3勝のマンハッタンカフェなどを管理)が引退(18年定年)して、二ノ宮敬宇調教師(エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタなどを管理)が、勇退(18年)して、馬主さんから、どうなの? と聞かれたりするようになってからだね。騎手でボロボロになって切り替えてやるのでは失礼だし、自分も納得しないと思う。やるからにはしっかりやらないと。ジョッキーと同じ、勝たないととね。エネルギーがあるうちにやりたいと思った」。ともに馬への情熱を共有し、戦い、その生き様を見せ続けてくれた先輩たちの思いも込みで、新たなステージに身を投じる決意に変えた。
34年の騎手生活。JRA・G1・26勝を挙げ、世界最高峰のレース、凱旋門賞では、エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタで2着に入った。今ほど世界を身近に感じられない時代で、世界を身近に引き寄せた1人。残した功績は、日本競馬界が誇るものだ。技術はもちろん、体力、気力もトップを維持できるものは今でも持ち合わせている。それでも、騎手として築き上げた立場を捨ててまで、勝ちにこだわる勝負師として余力を残して次にいく。やり続ける美学もあるが、潔く引く。ここに蛯名騎手の「去り際の美学」がある。
「騎手になりたくて入った世界」と話し、もちろん、葛藤はあると思う。ただ、自身は決して立ち止まってはいない。最近、今話題の音声SNS「Clubhouse」を始めたという。コロナ禍にあってファンとつながり、情報を発信するツールの1つとして新たに取り入れた。調教師になってもそれは続けて発信していくという。「無観客だからファンの人とどこかで集える場所があったらなと思って始めた。ちょっとずつ発信できればと思っている。ある程度、時代に乗っていかないと老けてきちゃうから。良いところもあるし、悪いところもあると思うけど、良いところを出せればいいと思う。でも、炎上しちゃうかなぁ」と笑うが、物事を見極めながら新たなものを取り入れる柔軟さ。トップに君臨し続ける理由の1つだろう。
蛯名騎手から蛯名調教師へ、終わりは始まりでもある。立場は変わるが、「また何かやってくれるのかな」。今度は調教師としての美学を追究していくのだろう。寂しさもあるが、やっぱり期待感の方が大きい。いつまでもそう思わせてくれる存在だ。(中央競馬担当・松末守司)
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1987年のデビュー以来、JRA歴代4位となる通算2538勝を挙げ、重賞勝利数は129勝、G1勝利数は26勝、1996年の天皇賞(秋)(G1)勝利のバブルガムフェローをはじめ、牝馬3冠のアパパネ、天皇賞(春)(G1)連覇のフェノーメノなど、幾多の名馬を栄冠に導くとともに、エルコンドルパサーでのジャパンカップ(G1)制覇や凱旋門賞(G1)挑戦など、日本を代表する騎手として世界の第一線でも活躍した蛯名正義騎手の引退式を、中山競馬場で実施することをJRAが発表した。
なお、引退式の模様はJRA公式YouTubeチャンネルでライブ配信します。
●日時
2月28日(日)【第2回中山競馬第2日】
16時35分頃開始
●場所
中山競馬場 ウイナーズサークル
注記:引退式当日は無観客競馬のため、中山競馬場への入場は不可
●その他
引退式の模様はJRA公式YouTubeチャンネルでライブ配信するほか、グリーンチャンネル「中央競馬全レース中継」およびBS11「BSイレブン競馬中継」では録画放送する予定。なお、引退式に先立ち、「新たな舞台へ ありがとう蛯名正義騎手」ページを2月21日(日)にオープンし、このページで掲載する蛯名騎手へのメッセージを2月22日(月)よりJRA公式Facebookで募集される。また、Facebookに寄せたメッセージの一部は、引退式の際に紹介される。
注記:
引退式の実施および引退式のライブ配信や放送は、変更・中止となる可能性があるので、あらかじめご了承ください
28日で引退の蛯名正義騎手は7鞍に騎乗予定、ラストライドは中山記念のゴーフォザサミット
2月28日付で引退する蛯名正義騎手は、騎手としての最終日に7鞍騎乗する。
同日の16時35分には、中山競馬場のウイナーズサークルで引退式を実施。当日は無観客競馬のため入場は不可だが、引退式の模様はJRA公式YouTubeチャンネルでライブ配信される。
騎乗馬の一覧は以下のとおり。
1R 3歳未勝利
ローラズウィシュ 美浦・小島茂之厩舎
3R 3歳未勝利
サンエルセントロ 美浦・中舘英二厩舎
4R 3歳未勝利
シゲルジチョウ 美浦・中野栄治厩舎
5R 3歳未勝利
シルバースピリット 美浦・藤沢和雄厩舎
8R 4歳上1勝
スマートマウアー 美浦・粕谷昌央厩舎
10R ブラッドストーンS(4歳上3勝)
スマートアルタイル 栗東・小崎憲厩舎
11R 中山記念(GII)
ゴーフォザサミット 美浦・藤沢和雄厩舎
追い切りでエルコンドルパサーの歩様を戻した“名手”蛯名正義
当時、一緒に現地に滞在していた佐々木幸二調教助手は凱旋門賞を目前に控えた段階で苦悩していた。「前哨戦の前あたりから歩様がいまひとつで本来の状態が戻ってきませんでした」。大目標の目の前まで来て、回避しなくてはいけないか?と思える状態。管理していた二ノ宮敬宇師(引退)に相談すべきか?と悩んでいると逆に指揮官から言われた。「歩様が悪いけど大丈夫か?」。二ノ宮師の目はごまかせなかった。
全ては最終追い切り次第という形で追い切りをつける蛯名騎手にバトンを渡した。すると…。
「蛯名さんが乗った最終追い切りを境に良い頃の歩様が戻りました」(同助手)
ここからレース当日まで、状態はグングンと良化の一途をたどったという。それでもレースではモンジューの2着に敗れてしまうのだが、果敢に逃げて3着以下を完封した走りは当時、現地で「今年の凱旋門賞には勝ち馬が2頭いた」と言わしめる好走劇だった。
そんな名手の手綱さばきを見られるのも今週が最後と思うと寂しい限り。まずは最後まで無事に乗る姿を目に焼き付けさせてもらおう。 (フリーライター)
蛯名、名馬と重ねた2539勝 ゴーフォザサミットで感謝表す「最後まで集中」
競馬界が別れの週を迎える。3月から調教師に転身する蛯名正義(51)がゴーフォザサミットで挑む中山記念(28日、中山)で騎手人生に別れを告げる。武豊(51)と同期の東のレジェンドが34年間の騎手人生を振り返った。また、今週末で東西8人の調教師も引退。万感の思いを胸にラストウイークに挑む。
エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ、アパパネ…。数々の名馬たちの背を預かった蛯名。デビューから34年。積み上げたJRA2539勝は歴代4位、JRA重賞129勝は歴代6位。競馬史に名を刻むレジェンドがいよいよムチを置く時が来た。
「不思議とまだ(引退の)実感はない。想像するに終わった後に寂しさが出てくるんでしょうね。今は多くの関係者に感謝の気持ちしかないです」
記憶に鮮明に残る87年3月1日のデビュー戦。師匠の矢野進厩舎のアイガーターフに騎乗したが15頭立て14着に大敗した。「緊張していたね。周りからは“迷惑を掛けるなよ”と言われていたけどタイムオーバーの大負けで迷惑の掛けようがなかった」。昨日のことのように笑った。初勝利は同年4月12日のダイナパッション。「同期は(武)豊も含めてもう勝っていた。ホッとしたし、うれしかった」。当時の喜びを思い出し、目を細めた。
アパパネと達成した10年の牝馬3冠など大舞台でも結果を残し続けた。だが、エルコンドルパサー(99年)、ナカヤマフェスタ(10年)で挑んだ凱旋門賞が2着惜敗。25回挑戦したダービーも2度の2着(12年フェノーメノ、14年イスラボニータ)が最高だった。「俺は残念な騎手。武豊には勝てない」と漏らすこともあった。だが、引退が目前に迫った今、その表情はすがすがしい。「勝てないレースもあったけど、やりきったかな。勝つために関係者に求めるレベルは高かったと思う。“あいつ、うっせーな”と思われていたかもしれない。でも、それがあったからここまでやれたと思う」
競馬学校からの同期・武豊は歴代最多4254勝を挙げる“日本競馬の顔”。友情とリスペクト、そして蛯名にしか分からない感情を抱えながらの騎手人生だった。「(同期で)楽しいというのとは少し違う。でも彼がいたから頑張れたし引っ張ってもらった。豊がいなければ今の自分はない」。今後は調教師として武豊とタッグを組むチャンスも。「そうなればいいね。競馬が盛り上がってくれれば」。照れくさそうに笑った。
ラストランの中山記念(ゴーフォザサミット)がいよいよ迫る。「こういうチャンスを頂けて感謝しかない。最後まで集中したい」。自他にストイック、それでいて人間くさい。その姿にファンは自身を投影し、勇気づけられた。蛯名は蛯名らしく最後までガムシャラに馬を追う。
坂路で蛯名騎手を背にしたゴーフォザサミットが、ラスト1ハロンを鋭く伸びた。カランドゥーラ(3歳1勝クラス)、アルマドラード(3歳未勝利)を3馬身追いかけて馬なりのまま併入する。時計は4ハロン54秒3-12秒2。鞍上は「いい手応えの感じで稽古ができたと思います。最後の1ハロンは行っていいよという感じ」と満足そうに振り返った。
87年3月1日のデビューから34年。いよいよ28日にラスト騎乗を迎える。
蛯名騎手 まだ実感はないですね。最後まで集中して競馬をしたい。
21日までにJRA通算2万1171回騎乗して2539勝を挙げた。「自分としては非常に勝たせてもらってありがたいですし、感謝ですね」。JRA重賞129勝(歴代6位)など華々しい活躍の根底には、1万9000回近い敗戦がある。「負けたことが勝ちにつながっているのがたくさんある。1つ1つがつながっている」と実感を込めた。デビュー戦となった34年前の中山5Rのアイガーターフは15頭立ての14着。「ダートの新馬戦でタイムオーバーでした。そのことを鮮明に覚えている」。そこから歴代4位の勝ち星を積み重ねてきた。
ゴーフォザサミットは3歳時に青葉賞勝ちに導き、レースで騎乗するのは18年9月の神戸新聞杯(8着)以来。藤沢和師は「乗り慣れたジョッキーだしね。蛯名君のために馬が頑張ってくれるんじゃないか」と期待を持って送り出す。「前回はダートでキックバック受けて競馬ができていない。今回は芝なので、いい競馬ができれば」。有終の美へ、名手は静かに闘志を燃やした。【久野朗】
【東西ドキュメント・美浦=25日】「おめでとうカッチー!」。
この日、田中勝の行く先々で祝福の嵐が吹き荒れた。若々しい笑顔は健在だが何と25日が50度目の誕生日。「50歳になっても何も変わらないよ(笑い)。今年も一生懸命、ケガなく乗っていきたいね」。らしさあふれる50歳の決意に田井も思わず顔がほころんだ。
これでJRAの50代ジョッキーは8人に増えたが、今週末に蛯名がステッキを置き、7人に戻る。「ずっと一緒に乗ってきた仲間。ご飯やゴルフに一緒に遊びにも行った。本当にお疲れさまです、だね。いい馬を育てて競馬の発展に貢献してください」と先輩をねぎらった。50にして天命を知る、というが…“調教師転身の意志は?”の問いには「考えたり、考えなかったり。覚悟が決まらず中途半端な気持ちでは(調教師は)できないからね」と率直に答えてくれた。今は騎手一本。週末は全力騎乗でファンの期待に応える50歳のカッチーにご注目を。
沢田康文の欧州競馬リポート】蛯名騎手、調教師でも凱旋門賞挑戦に期待
2010年の凱旋門賞に史上初めて複数の日本馬が出走した。同年の皐月賞馬ヴィクトワールピサと宝塚記念の覇者ナカヤマフェスタの2頭で、1999年2着のエルコンドルパサーと同じ二ノ宮敬宇調教師と蛯名正義騎手のコンビで挑んだナカヤマフェスタが英国のワークフォースと一騎打ちを展開。頭差2着に敗れたが、今でも日本馬が凱旋門賞制覇に最も迫ったレースになっている。
今週の騎乗を最後に騎手を引退する蛯名騎手は二ノ宮師の勇退が調教師転身を意識するきっかけのひとつになったと語っている。さらに昨年12月には、ナカヤマフェスタの厩務員としてフランス遠征に携わった堀内岳志さんもJRA調教師試験に合格。二ノ宮調教師の意志を次いだ2人が立場を変えて、いつか再び欧州最高峰の舞台に挑戦する日を待ちたい。
日曜小倉は蛯名さんとのレース 引退されるのは寂しい…あこがれのジョッキーでした【浜中俊コラム】
日曜の小倉には、来週で引退される蛯名さんが乗りに来ています。蛯名さんは、自分が子どものころから活躍していたジョッキーで、あこがれの存在。関東の方ですし、接点はあまりないのですが、それだけに話をするだけでも、いまだに緊張します。
数々のビッグレースを勝ってきた蛯名さんですが、個人的に印象深いのがエルコンドルパサーとのコンビ。海外でもG1を勝ち、凱旋門賞もモンジュー相手に惜しい2着と、日本人の騎手でもっとも凱旋門賞制覇に近づいたジョッキーでしょう。とても勝負強い方で、ここぞという時はきっちり勝つという印象もあります。引退されるのは寂しいですが、きっと調教師になられても成功すると思います。
調教師転身のため、今週でジョッキー生活に別れを告げる蛯名正義騎手(51)は、コンビを組むゴーフォザサミット(牡6、藤沢和)の手綱を取り、美浦坂路の3頭併せでカランドゥーラ(3歳1勝クラス)、アルマドラード(3歳未勝利)を3馬身追いかけて馬なりのまま併入。時計は4ハロン54秒3-12秒2だった。鞍上は「いい手応えで稽古ができたと思う。最後の1ハロンは行っていいよという感じ」と満足そうに振り返った。
87年3月1月のデビューから34年。いよいよ28日にラスト騎乗を迎える。蛯名騎手は「まだ実感はないですね。最後まで集中して競馬をしたい」と、有終の美へ、名手は静かに闘志を燃やした。
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蛯名「調教師としてダービーにチャレンジできれば」
-調教師を志望した動機は
蛯名騎手 騎手という職業を34年の間の経験を生かせる仕事というのはやっぱり調教師が一番いいのかなと感じておりましたので受験させていただきました。
-目標、目標にする調教師は
蛯名騎手 目標・・・、なんて言っていいか非常にあれなんですけど、厩舎を開業したら、ファンのみなさんに応援していただくこととか、自分はジョッキーだったので、ジョッキーが「この厩舎の馬に乗りたいな」という、そういう厩舎にできればいいなあと思いますし、調教師試験を受けるにあたって、ずっと藤沢(和雄)先生のところでお手伝いさせていただいて、馬に対する考え方を自分もそういうことを考えていましたので、そこは目標にしなきゃいけないなと思います。
-何回目の受験だったのか
蛯名騎手 3回目の受験です。
-騎手を引退するのは
来年の2月いっぱいまで騎乗する予定です。
-ダービーについて
蛯名騎手 やっぱりこういう世界で、勝負の世界なので、できたこともありますし、できなかったこともありますし、ファンの方々からすごく、そういうメッセージいただいて、「やめないでください」という言葉もいただている一方、「また頑張ってください」というメッセージももらっているなかで、非常にあの、ダービーもそうですし、凱旋門賞もそうかもしれませんが、そこまで、本当に手が届きそうなところまでいったんですが、勝てなかったんですが、でも、そのなかで自分としてはその自分のできる状況の中では精いっぱいやってきましたし、そういう意味では悔いはないですが、でも、あらためて調教師としてチャンスをいただいたので、そこ(ダービー、凱旋門賞)にまたチャレンジできるようになっていければなあと思いますし、またファンの方々に応援していただけるよう、自分がそういうふうになれたらなあと思います。
これ面白かった
https://twitter.com/masayoshi_ebina/status/1364887175834136583
蛯名正義
@masayoshi_ebina
・
15時間
エビショーオヤジって知ってますか?
競馬場でいつもゴールの時に「エビショー!」と叫んでるファンの人がいるよと記者の人達から聞いたことがあります。
今日その方からの手紙を受けとりました。
「エビショーが引退したら競馬を離れます。今までありがとう」と。
これからも競馬場で待ってるよ!
蛯名正義騎手(51)=美・フリー=の引退式が、28日に中山競馬場で実施されることが決まった。
最終レース終了後にウイナーズサークルで行われる。引退式はJRA公式YouTubeチャンネルでライブ配信する。また、JRAは21日に蛯名騎手の特設サイトをオープン。22日からはJRA公式フェイスブックで特設サイトや引退式で紹介する蛯名騎手へのメッセージを募集する。詳細はJRAホームページへ。
今年74歳になる社台ファーム代表の吉田照哉さん。
ノーザンテーストを探し、サンデーサイレンスの交渉にあたるなど日本競馬への功績は数限りないが、私は2人のジョッキーを育てたことも大きいと思う。その1人が武豊騎手だ。
武豊騎手がデビューした頃、社台グループが預ける厩舎は今のように多くはなかった。松山吉、松山康、二本柳俊、栗田博、矢野進、小林稔、渡辺栄ら。名門であるが、そこには所属騎手がいて武豊騎手はそれほど縁がなかった。ところがデビュー8年目の1994年に照哉さんから電話が入る。「武さん、キングジョージに乗らないか」。同レースで1番人気になったホワイトマズルへの騎乗依頼。フランスのスキーパラダイスにも乗せ、武豊騎手は同馬で初めて海外G1(ムーラン・ド・ロンシャン賞)を制す。その後、武豊騎手は国内外で社台グループの馬と大レースを勝ちまくるのだ。
照哉さんの力を得たもう1人が蛯名正義騎手だ。師匠の矢野進調教師に連れられて、見習いの頃から照哉さんから競馬を学んだ。95年の天皇賞・春。ステージチャンプでG1にあと一歩まで迫り、96年の天皇賞・秋、バブルガムフェローでのG1初制覇、そして皐月賞馬イスラボニータも馬主は系列の社台レースホースだ。
けっして優しいだけではない。ある時パドックで3人と一緒になった。照哉さんは「きみは最近、しょっちゅう出遅れるよなぁ」と武豊騎手にピシャリ。武豊騎手がすいませんと去ると、私に「もう一人、スタートが下手な騎手がいるね」とニヤリ。今度は蛯名騎手が謝って去った。ただ乗せるだけでなく言うことは言っていた。
大事に育てた2人のうち、蛯名騎手は引退して調教師になる。いつの日か社台ファーム生産、蛯名正厩舎、武豊騎手でG1に出てほしい。その馬には3人の30年以上にわたる競馬への情熱が詰まっているはずだ。(作家)
https://news.yahoo.co.jp/articles/93a71d889dd607a2cba58ea13b2cde15f052258e
実際はなさそうか
藤沢先生も来年定年だから多少はあるんじゃない?勝てる馬仕上げてもらって幸四郎みたいに鞍上武豊で初勝利狙いそうじゃない??笑
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何となくデビューから最後まで乗り続けた名馬がいない印象
マツリダ
エルコン
マンカフェ
イスラ
フェノー
沢山いるよね
エルコンもフェノーも乗り続けてなくね
乗り続けてる歴史ではなく大事なとこで乗り続け、イコール大きなとこ勝ってるから、この二頭は蛯名の馬という印象しかない
同意です、特にエルコンは的場よりはエビの馬って感じ
フェノーメノは喧嘩別れの形になっちゃったからなぁ
エルコンはその後の蛯名の飛躍につながる馬だね
このうち、デビューから最後まで乗り続けた馬は?
アパパネだろ、と思ったが1戦だけ猿が乗ってた
調べてみたらG1勝って全レース乗ってるのがショウナンアデラしかいなかったわ
>>49
ショウナンアデラか…
懐かしいね
やはり蛯名がデビューから引退まで手綱を取り続けた馬は印象薄い通りだったわ
>>49
アパパネに1回乗ってないのは、蛯名自身が骨折休養中だったから
ケガや騎乗停止で乗れないのは仕方ないよ
最高のドラマになるだろうけど、武豊はあと2年も持たない感じするのがな
蛯名正義28日ラスト重賞騎乗 引退を前に胸中激白
<武豊への思い>
競馬学校時代から数えると付き合いは40年近く。切磋琢磨(せっさたくま)してきた同期の武豊騎手は大きな存在だった。「乗り役になる前からずっと一緒でね。
いろんなことを互いに高め合ってきて。彼に引っ張ってもらった部分もあるし、彼がいたから頑張れた。
彼はまだまだ乗るだろうし、もっと頑張ってもらいたい。自分も新たなステージで頑張りたい」。この絆を「腐れ縁だから」と親しみを込めて表現し、騎手と調教師と互いの立場が変わろうと、切っても切れない縁だ。
<夢のタッグへ>
騎乗が見られなくなるのは残念だが、開業後に管理する馬に武豊騎手が騎乗する姿はファンも心待ちにするだろう。「まだ何とも言えないけど、ファンが喜んでくれるのなら自分の管理馬に彼が乗ってくれるようになればいいなと思う。競馬が盛り上がれば一番いい」と話し、ファン、そして競馬のさらなる発展のため夢のタッグ結成に意欲的だ。
<恩師への感謝>
最後のJRA重賞騎乗となる中山記念は藤沢和厩舎のゴーフォザサミットに騎乗予定。師が「蛯名騎手に花道をね」とコンビ再結成に一役買って実現。
「乗ったことがある馬がいいだろうと先生が言ってくれて。先生には初G1(96年天皇賞・秋をバブルガムフェローで優勝)を取らせてもらって、あれで(飛躍の)きっかけをつくってもらった。調教師になると決めてからもうちに来て勉強すればいいと気を使って声を掛けてくれたし、とてもありがたいなと思う」。精神的支柱でもあった師への感謝の思いも胸に、全力で騎乗する構えだ。
<愛馬で頂点を>
34年前、同じ中山でデビューし、騎手人生がスタートした。12年ダービーはフェノーメノで鼻差2着、99年凱旋門賞はエルコンドルパサーで半馬身差2着と、ホースマンの夢、日本競馬の悲願達成にあと1歩まで迫った。「もちろんファンも(騎手としての制覇を)応援してくれたけど、できることできないことはあるし、ここまで頑張ってきた結果だから。新たなところで頑張れればと思う」。
夢の続きは、近い将来管理する愛馬とともに。トレードマークの渾身(こんしん)の騎乗を全うし、新たなステップを踏み出す。
なんだかんだ上手くやりそうだけど
初期の頃のお手本フォームが一番合ってた気がするが
https://www.tokyo-sports.co.jp/horse/jra/2813397/
サンタコスプレ調教
こういう話は好きだな
これは初めて知ったけど他の奴らもやればええのに
これ昔、東スポの上の方に載ってる「今週の○○」とかいうコラムで見たなぁ。
お叱りというか、けっこう怒られたみたいな内容だったと記憶してるが。
国枝の後釜になれるか
ダービー勝てなかったのは残念だが調教師として勝てるといいな
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