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そしたらゴルシもオルフェーもオジュチョーもいなかったんだけど競馬の偶然て怖いな
マジレスだが
香港ヴァーズ負けて、種牡馬になれたとしても
香港ヴァーズ負けた時点で運命が大きく変わって
ゴルシもオルフェーもオジュチョーもいない
メンバー的に豪華だったよな
GI昇格後のシーマでもあれより豪華メンバーだったのってあまりないだろう
あの時が最高メンバーだった
だからステゴなんて最低オッズ評価だったしな
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当初は日高軽種馬農協と交渉したが決裂、その後社台、岡田氏、ブリーダーズSSの三者で
シンジケートが結成された
あのドバイ
たとえば98秋天とか
そもそも当時のドバイなんてワールドカップ以外にレースあったっけ?ってくらい認知度低いし
この年のドバイ・シーマ・クラシックには前年のエミレーツ・ワールドシリーズのチャンピオンの座に就いた地元のファンタスティックライト、ドイツのGIホース・シルヴァノ、シンガポール航空国際Cを制した英国のエンドレスホール、ジャパンC2着の実績などで日本でも馴染みのある香港のインディジェナスなど、世界の一線級が参戦してきたことからGIIレース(現在はGIだが当時はGIIとして実施されていた)と言えど、間違いなくGIレースに値するメンバー構成だったと言える。
レースではエンドレスホールが主導権を奪ってスローな流れを作る中、ステイゴールドは中団よりもやや後ろ目の最内に待機。それも英国ブックメーカーのオッズで圧倒的な支持を集めていたファンタスティクライトをピッタリとマークするように追走していった。
直線に入ってファンタスティックライトが早めに動き出すも武豊はここでもジッと我慢。無理にファンタスティックライトを追いかけずにステイゴールドの脚をためてからスパートする作戦に出た。そして、満を持して武豊がステイゴールドにGOサインを出したのは残り300m地点からだ。道中は馬場の内側を走っていたステイゴールドを今度は外に持ち出して猛スパートを開始した。
ステイゴールドの末脚は強烈で、先に仕掛けて懸命に粘るファンタスティックライトとの差は見る見る縮まっていく。地元のファンからはファンタスティックライトへの声援が飛び、日本から駆けつけたファンや関係者からはステイゴールドを後押しする声が上がり、ナドアルシバ競馬場はメインレースを超えたと言っても過言でないほどヒートアップしていた。
内のファンタスティックライトか、外のステイゴールドかという熱い戦いは2頭が馬体を並べたところでピリオドが打たれ、勝敗の結果は写真判定へと委ねられる。ゴール前までは、あまりの大激戦に割れんばかりの大歓声が場内を覆っていたが、写真判定の結果を待っている間は、嵐が過ぎ去ったかのような静けさに包まれ、全ての人が固唾を飲んで結果発表を待った。
そして、再び場内に活気が戻ったのは写真判定の結果を告げるアナウンスが流れた瞬間だ。「The winner is Stay Gold!」。この勝利者コールが告げられると同時に場内は拍手喝采。泣いて抱き合う日本人観光客、吠えて喜びを表現する報道陣、満面の笑みでガッツポーズを繰り返す武豊、それを涙目で迎える関係者、まさにナドアルシバ競馬場はステイゴールドの勝利で金色一色に染めあげられたのだ。また、ファンタスティックライトを応援していた地元のファンからも純粋に勝者を称える声援が送られ、何とも清々しい風が漂っていた。
レース後、武豊が「ゴールの瞬間に勝ったと思った」とコメントしていたが、結果は数センチのハナ差での勝利。それでもこの僅差ながらの勝利は日本の競馬史で永遠に語り継がれる大きな一勝であり、世界の競馬史にもその名を確実に刻んだ勝利だったと言える。
熱いなこの頃
これで地元も日本人も賭けてないってのが凄いな
ステゴ以外のオリエンタルアート産駒、ポイントフラッグ産駒見ればわかるだろ
──現役生活最後の秋、それだけの激しさ、我の強さを矯正するために、様々な工夫を凝らしたという話は、『黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語』にも書きました。
それが実を結んでラストランでのGⅠ制覇という劇的な勝利に繋がったわけですが、その香港ヴァーズでも最後の直線では突然、右側に斜行し、いったんは絶体絶命と思える状況に追い込まれました。
池江:ステイゴールドがレースで右側にもたれたのはあのときだけなんです。
片側ブリンカーで視界を遮られているから左側には行けない。じゃあ右に行ってやれ、というね(笑)。
常に何かをしでかして、「人間を困らせてやろう」と思っているようなところがあった馬ですから、あの斜行もそうした習性の表れだったんでしょう。
──しかし武豊騎手の“マジック”が炸裂して、そこから奇跡的な差し切りを飾ります。
本書にも書きましたが、あの勝利は種牡馬としての命運を左右する大きな1勝だったと思います。
池江:そうですね。ああいう強烈な勝ち方をすると、いい繁殖牝馬が集まりますから。
逆にいえば、あのとき勝っていなければ、埋もれてしまっていてもおかしくはなかったと思いますよ。
──とはいえ種牡馬入りの当初、あのステイゴールドからこれだけコンスタントに大物が出てくるというイメージは誰も描けなかったはずです。
池江:僕もちょっと、ここまでの成功は想像できなかったですね。特に三冠馬、オルフェーヴル級の大物が出るとは思っていなかった。
ステイゴールドが種牡馬入りした時期、サンデーサイレンスの直子の種牡馬って他にもたくさんいたじゃないですか。しかもGⅠをいくつも勝っている馬が何頭もいました。
それらの馬に対してステイゴールドはGⅠ勝ちが1勝だけ、馬格は小さいし、社台スタリオンステーションにも入れなかったわけです。
だからここまでの成功を収めるなんて、「まさか」というのが正直なところですよね。
──現実にこれだけの成功を収めていることについてはどんな感想を持っていますか?
池江:もう、単純に嬉しいですよ。本当に嬉しい。あの馬はなんか、戦友みたいな間柄の馬でしたから。
ドバイにも香港にも一緒に行って、しかも両方、勝ってくれたわけですし。
だからオルフェーヴルが出たとき、特にダービーを勝ったときはしみじみ、「ステイゴールドが僕に贈り物をしてくれたんだな」と感じました。
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それでも応援せずにはいられない馬だった
全盛期に戦って勝ったのは評価できるから例え香港で勝てなくても種牡馬にはなれただろ
功労馬として人気者だったのは間違いない
あん時の実況スレでもトゥザの帯同馬として行かされた挙句体重も落ちてガリガリで可哀想という声と、奇跡起きてもブロンズコレクターだろどうせという諦めムードだった
現役の頃メルアドにしたかったけど、皆んな使ってるらしくて、どう工夫しても駄目だった
もっと25才位までは長生きしてほしかったな
実況が良いのもあるよね
ナイスネイチャは有馬記念3年連続3着なんだよね
それでもG1勝ちがなくても種牡馬になれた
G1勝ってなくても種牡馬にはなれる
ステゴはそれなりの実績はあった
コントレイルを負かしたモズベッロ
モズベッロは種牡馬になれる資格はある
以後のステゴ産駒達はこの活躍あってのものだろうし
確かに素晴らしいラストランだったがちゃんと勝てるレースを選んで走った。
ドバイは本当にビックリしたけどねw
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