武邦彦さん死去 四男・武幸四郎が父をしのぶ
12日に肺がんのため、77歳で亡くなった元JRA騎手、調教師の武邦彦さんの四男・幸四郎騎手(37)=栗東・フリー=が13日、小倉競馬場で父をしのんだ。
「今週はきょうの9Rと11Rをテレビで見るのを楽しみにしてくれていたので、元気にしてくれていたら説教ももらえたんだろうけどね」としみじみ。
小倉9Rのフェニックス賞はメイショウソウビに騎乗して4着、11Rの阿蘇Sはメイショウウタゲで3着だった。
「これからは今までの教えを、騎乗だけではなく、僕の人生に生かしていきたい。(僕のことを)心配し過ぎて疲れていると思うから、ゆっくりとしてほしい」とメッセージを送った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160813-00000010-ykf-spo
小島太って豊に嫌がらせしてたんじゃないっけ?
仲良い騎手の子供なのに。
後で後悔してたらしいけどね
ゴミ箱をロッカーとして使えとか
決して偉ぶらない、ひょうひょうと笑顔の人だった。
シーキングザパールが日本調教馬として初めて海外G1を制した98年夏。時差の関係で深夜に申し訳ないと思いつつ、武豊の父としてコメントを求めた。
「いや、全然構わないよ。いつでも電話して。とにかく海外遠征を克服して勝ったのは大変なこと。これなら、タイキシャトルはもっといい競馬ができる」。
しかし、翌週の仏G1に挑む他馬の話で盛り上がっても、息子へのコメントは一切出してくれない。
酒豪らしく酔った声で、今からススキノに飲みに来れば教えてやる、と言われた。
後日、聞くと「豊は放っといても大丈夫」「自分のことしか考えられない人はだめでしょ」。
競馬を心の底から愛し、その発展を願うとともに、息子だけをたたえるコメントは出せないとの思いだったのだと思う。
「僕ほど数多くの名馬に乗せてもらった騎手は少ない。でも、騎手の気持ちが分かるから、調教師としては…」。定年前にはこう話したが、気さくで関係者からはタケクニさんと慕われ、ひょうきんな人だった。
幸四郎が生まれ、名前を考えていた頃の話。「ちょうど3度目の菊花賞を勝つことができたということで、家族に『菊三でどうか』ってね。今でも笑い話」。
そう語りながら、左右で色の違う靴を履いている、というような人だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160813-00000050-nksports-horse
泣かない人の方が稀だと思う
ギャロップにぶち抜きで写真が出てた
松本オーナーへの思いがあったらしい
つべに映像ある
オーナーと目があった瞬間から号泣