勝負どころで慎重になりすぎ、他に進路を奪われた。
好漢=松山弘平は、もう4回目の騎乗なので日本ダービーの重みを十分に理解している。
だから、無軌道にガサツになど乗れなかった。
大丈夫、日本ダービーは昔からおじさんのレースなのだ。
藤沢和雄調教師の笑顔を見なさい。
http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&wid=A01
スポンサーリンク
序盤は武と並走して内を進んでいたのに
途中で四位に間に入られて4コーナーで四位に外に追いやられて終了だし
だから言ってるだろ
おじさんのレースだと
まだ若いこの先チャンスはあるということだよ
評論家として長くやってる理由も分かる
この煽りを食らったのがアドミラブル
これ思い出した
[2003年秋天翌週の日刊競馬紙面のコラム]先週の天皇賞秋。ローエングリンに期待して激しくへこまされてしまったが、ああ
いう競馬。本心を言うと内心では嫌いではない。
行かなければ挑戦の出走の意味もないゴーステディは、毎日王冠の情けないレース
運びから無理にでもいく。そういう立場に追い込まれていた。
有力馬のローエングリンは2番手に下げて折り合い、理想の先行ペースが成立する
はずだった。事実3~4番手以下はスローにも近く、買ったシンボリクリスエスの
前後半は推定60秒2=57秒8。ツルマルボーイなど61秒0=57秒2が推定の
前後半で、実際にはピントはずれなのはペリエと横山典(ゴメン)なのだが、たまた
ま前の2頭が 別のレースをしたため結果オーライだったことは否定できない。
20馬身以上も離して前半56秒9はどういう理由をつけようと論外(事実13着と
18着)なのだが、もしローエングリンが困難を克服し2番手に下げゴーステディ
を前半58秒0くらいで行かせてたら、ペリエ、横山典のほうが非難の立場だっ
面もあるのである。
有馬記念のぺりえ(シンボリ)を思い起こせばわかる。
それはオリビエは世界の一流だが、後藤騎手も吉田騎手も(残念、連帯率20%
前後が示す実力でも)後ろめたいことなどない。実はペリエ騎手とて高速の時計
勝負のG1では(主戦場が欧州ゆえ)ペース音痴に近い。彼が巧みなのは有力
馬の位置をあの(クリクリの)目で、決して見失わず平然としていることだけなのだ。
後藤騎手を非難する声が多かったというが、浩輝、気にするな。柴田政も郷原も加賀も
岡部だって、豊はまあ別だけど、みんなそうして乗ったのだ。
本命にして大恥をかきあと2週間カップラーメンの私が、まあそれも進歩の過程だと
許す。外れた私のほうがもっと悪い。ネヴァーセイダイ、ダイハード(弱音を吐くな、
あきらめるな)。ローエングリンの後藤浩輝もゴーステディの吉田豊も、いい根性
してるじゃないか。強引に行くこともないやつが、実はもっと乗れない男なのだ。(柏木)
これいいコラムだなあ
ほんと競馬好きなんだなーってのが伝わってくる
あえて一切触れないしww
これだなw
レース回顧としてはダメだけどこれはこれで
この人は評論家ぶるよりいちファンとして文章を書いた方がいいよね
その日持ってる金を最終レースに全部ぶっこむよ
中山から大崎まで歩くひと
柏木集保
【経歴】
1948年3月18日、長野県小諸市にて出生
上田高校を経て早稲田大学政治経済学部を卒業
高校時代はハンドボールでインターハイに出場
大学時代は相撲部屋からスカウトされた経験も
身長183㎝ 体重85kg(いずれも推定)
【エピソード】
学生時代は競馬のみならず様々な博打に手を出す
宵越しの金は持たないタイプで常に財布は空っぽ
交際女性の部屋に転がり込み辛うじて大学を卒業する
その交際女性の母親に結婚を勧められ止む無く入籍
10代から愛用の枕と布団を捨てられ大人気なく拗ねる
競馬は12Rまでやってナンボというポリシー
電車代がなく、競馬場から大崎まで歩いた経験を持つ
貰い酒が得意で、時に後輩記者にゴチになることも
馬券ブレイクの女性記者にインタビューを受けた際、
おれ、金ないよ、と言ってゴチになったことは余りに有名
どうしても金がないときは家族でカップラーメンをすする
負けたときの口癖は「もう競馬なんか知らない。みんな死んじゃえ」
好物は酒とアイスクリーム
俺こういうクズ大好き
まるで自分のようで親近感わくわ
そこらの競馬好きのオヤジじゃねーかw
ドスローの中、堂々とレイデオロが動いて勝ったんだからご満悦
結論
ダービーはおじさんのレースw
スポンサーリンク