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現役唯一のJRA通算1000勝(29日現在1414勝)トレーナー、藤沢和雄師(67)は阪神競馬場の検量室で武豊と握手を交わした。「ケガなどいろいろありながら4000勝するなんて凄いことだ」と称賛。「今のJRAの隆盛は武豊君の功績。騎乗技術もさることながら、そのジャッジの正確さに何度も感心させられた」と今でも忘れられないエピソードを口にした。
武豊との初コンビで管理馬シンボリクリスエスが重賞初優勝を飾った02年青葉賞。「ダービーも勝てるかと思わせる強い競馬をしたのに、彼はこう言ったんだ。“先生、あの馬は秋になったら良くなりますよ”。えっ、春(ダービー)は駄目なのかいと思った。で、ダービーでは彼が乗ったタニノギムレットにかわされて2着。シンボリクリスエスは彼のジャッジ通り、その年の秋になって天皇賞と有馬記念を勝ったんだ」
ダンスインザムードは武豊の手綱で04年桜花賞優勝。同師に初のクラシックタイトルをプレゼントしてくれた。その一方、敵に回して、手痛い目にも遭った。バブルガムフェローを破ったエアグルーヴ(97年天皇賞・秋)、タイキブリザードを負かしたマーベラスサンデー(同年宝塚記念)の馬上にも武豊がいた。「彼がもっと長く海外に行っていたら、私は日本でもっと勝てた。あと100勝はしていた(笑い)」と独特の言い回しで、かつての宿敵を称賛していた。
引用元:ヤフー【https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000028-spnannex-horse】
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「ここを通過点として今日より明日へ…けがなどないように、まだまだ走り続けてください。いつの日か、また一緒に表彰式で『まつり』を歌いましょう」。
“キタサン”、そして“ブラック2世”でのビッグレース制覇の日を夢見ている
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000009-dal-horse
だなw
最近楽しそうだw
大尾形の記録1669勝は抜けそうにないか
◆コンビでGI12勝を挙げた池江泰郎元調教師(77) 「4000勝のなかには、(管理した)ディープインパクトやメジロマックイーンなども含まれているので、僕にとっても光栄です。これからも競馬界を引っ張っていってほしいですね」
◆歴代2位の2943勝をマークした岡部幸雄元騎手(69) 「豊君にとってはまだ通過点ではないだろうか。数字だけでなく、存在感でもまだまだナンバーワン。引き続き存在感を示す騎乗を見せてほしい」
◆2721勝で歴代3位の横山典弘騎手(50) 「年間200勝でも20年かかるから、すごいのひと言。合間に海外にも行ったりしているわけだからね。やっぱり華がある」
◆競馬学校で同期の蛯名正義騎手(49) 「大変な数字。すごいことだと思う。本当のすごさは、何十年もたったときに分かるんだと思う」
◆凱旋門賞4勝のオリビエ・ペリエ騎手(45) 「君の存在が日本競馬の発展にどれほど寄与したか。いつまでも尊敬しています」
◆実弟の武幸四郎調教師(39) 「これから5000勝までの間に、うちの厩舎の馬でも、もっと勝ってほしいですね」
◆クリストフ・ルメール騎手(39) 「30年ぐらいトップジョッキーでいて、いいペースで勝ってきた。世界でも4000勝ジョッキーは少ないから、素晴らしい記録です」
◆藤田菜七子騎手(21) 「言葉が見つからないくらいです。普段から気にかけて声をかけてくださったりしてますし、憧れの存在です」
蛯名のコメントが好き
南井師 武豊4000勝に喜び「ウチの馬で決めくれた」
【武豊 JRA4000達成 ( 2018年9月29日 )】 阪神10Rを勝利したメイショウカズヒメを管理する南井師はしみじみと喜びを語った。「ウチの馬で決めてくれて、うれしい。
メモリアルで勝てて良かった。それにしても4000勝つって、凄いよね」。自身も3冠ジョッキー、言葉に重みがあった。
▼岡部幸雄元騎手(歴代2位のJRA通算2943勝)
心よりおめでとうと言いたい。若い頃と変わらず精力的に動いているし、レース前の準備など人一倍努力している。
彼ほど世界に目を向けている騎手もいない。最低でも私の引退した年(56歳=JRA平地騎手最高齢)までは乗ってほしいし、彼ならやれると思う。
▼河内洋師(兄弟子)
思ったより早かったな。4000も勝つことはとても難しいこと。あとどれだけ白星を重ねられるか楽しみ。体には気をつけてな。
▼柴田善臣(JRA現役最年長騎手)
いつも彼を応援してくれているメイショウさんの馬で達成と、まさにみんなが喜ぶ勝利。後にも先にも4000勝もできる人はいないと思う。
▼横山典弘(競馬学校1年先輩)
彼ならば普通に乗っていればできることだけど、凄いとしか言いようがない。年間200勝しても20年かかる大変なこと。
あり得ないことだよ。今日の木梨(憲武)さん命名馬で勝った新馬戦や4000勝をメイショウさんの馬で達成したこと、表彰式で雨がやんでいたのも凄い。
▼蛯名正義(競馬学校同期)
土日しかない競馬で大変な数字。今後はもう出てこないと思うし、もし出てきたらそれはスーパースター。
多くの人の協力があったんだろうけど、誰でもできることじゃない素晴らしい記録だからね。彼が同期でよかった。周りに自慢できるよ(笑い)。
ノリの視点に笑った
こいつこういうとこも見てるんだなw
河内の他人事感が凄いな。最近ロクな馬乗せてないし何かあったんかね
▼戸崎圭太(現在関東リーディング)
土日だけの開催でこの数字は…あり得ない記録。実感が湧かないので想像するしかないですが、とてもマネできるものではないです。長い年月、ずっと勝ち続けてきた結果。本当に歴史に残る大記録だと思います。
▼ルメール(現在東西リーディング)
4000勝は凄い。天才です。レジェンドだからね。
30年間もトップにいて、いいペースを維持している。
世界でも4000勝できるジョッキーは少ないからね。素晴らしいパフォーマンス。ビッグ・リスペクトだね。
▼モレイラ(来月JRA騎手免許試験受験)
JRAで4000勝は本当に素晴らしいこと。(中山からセレモニーを見て)とても感動しました。
▼的場文男(公営大井所属)
4000勝おめでとう。本当に素晴らしいことだね。
中央競馬で4000勝を挙げるのは俺の記録(地方競馬通算7176勝の日本記録更新中)より大きいかもしれない。
デビューから天才肌でうまかった。当然と言えば当然の結果だろう。まだまだできるし、若いから5000勝はいくよ。人柄もいいしね。この先、絶対に誰もできないような不滅の記録を残してほしい。
大親友が祝福だ。スポニチ本紙競馬予想でおなじみのノリゾーこと木梨憲武(56)が自身の命名馬「ゴータイミング」で金字塔にリーチとなるJRA通算3999勝目を挙げた鞍上・武豊に感謝感激し、特別寄稿した。
また、マリナーズのイチロー球団会長付特別補佐(44)は「人間・武豊」を赤裸々に語った。ともに、最後には武豊を支え続けた量子夫人(旧姓・佐野)への“お願い”で締めた。
豊さん、やったね。おめでとう。前人未到のJRA通算4000勝達成。そして、王手となった3999勝目が私が命名させていただいた「ゴータイミング」。
このタイミングの良さ、不思議な巡り合わせ、仲間との出会いにも感謝です。
ゴータイミングのデビュー戦、阪神競馬5Rは自宅で見ていました。良血馬がそろっているレースだと仲間から聞いていたし、単勝5番人気(1020円)。
どうかな?と思っていましたが、道中ちょうどいい外めを追走していたので、おやおやっ。勝つんじゃない!?直線では、私の「ユタカ!!ゴータイミング!!」の声援が届いてくれてうれしい。
昨日は4000勝の“前後賞”でもうれしいと言いましたが、その通りの大台リーチ勝利祭に感激しました。
今春、私の絵の個展「Timing―瞬間の光り―」の準備をしている時に、馬主のキーファーズ代表・松島正昭さんから所有する2歳馬の馬名依頼を受けて、名付けさせていただきました(オーナー、ありがとうございます)。
馬名の意味は「瞬間」ですが、鞍上が“ゴー”サインを出した時に、いい感じの“タイミング”で抜け出してきますように…と感じて、いただいたかもしれません。その通りの勝ちっぷり。
この1勝は、私が想像していた以上に強い勝ち方。来年のクラシック戦線に向けて、大きな夢を感じさせてくれました。
4000勝達成は豊がデビュー時からお世話になっているメイショウさんの冠馬で決めるあたりは、さすが。
きっと、お父さん(元騎手、調教師の武邦彦さん)も天国で喜んでいると思います。
そう、誰もが4000できるなんて5年前じゃ考えられなかった
いつまでも
【武豊名言ベスト10】
▼第1位 「競馬は結果が全て。結果を競っているのであり、努力を競っているわけではない」(自身の競馬哲学について)
▼第2位 「強い馬が強い勝ち方をすることに競馬の真の面白さがある」(自身の美学を語る)
▼第3位 「勝利の方程式をつかんだ?道を究めた?そんなこと思ったことはない。デビュー以来3500勝したけれど、出走回数は1万7000回以上。
勝率にしたら2割に満たない。負けた数のほうがはるかに多い。昨日の僕より上手に乗れるようになっていたい」(JRA通算3500勝を達成して)
▼第4位 「雑音を消す方法はたった一つだけ。
レースで勝つしかない。成功したらどうしようと考えているが、失敗することは全然考えてない」(周囲からの不振を心配する声に)
▼第5位 「“いつも勝ってくれてありがとうな。
お礼に奇麗なお姉さんのいる店に飲みに連れていったろか”と声に出して感謝したら周りが笑ってた。馬の耳に念仏ですけど…」(ディープインパクトの馬上で)
▼第6位 「ハルウララは細くて小さくて可愛い馬。乗り心地もそんなに悪くないけどスタートして何秒かで終わりましたね。
全く走らないわけではない。ちょっと脚が遅いだけ」(高知競馬場でデビューから105連敗中だったハルウララに騎乗して10着)
▼第7位 「アナタからお金は借りた覚えはありません」(レース後、ファンから“金返せ”とやじられ)
▼第8位 「にんじんは馬が食べるもの」(にんじん嫌いを問われ)
▼第9位 「競輪は大好きだけど、居心地がいいのは競馬場。競馬場はお金をもらえるところで、競輪場はお金を使うところですから」(13年に立川競輪場を訪れ)
▼第10位 「僕が“こうしろう”と言うことはない」(デビュー直前の弟・幸四郎へのアドバイスを聞かれ)
ハルウララのやつすき
なかなか面白い名言集だね
全部知らなかったし
10位好き
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等々ニュース山盛り、持ってないな
逆にもってんだろ
イチロー 大親友・武豊の素顔明かす「酔っぱらうと家の鍵なくす(笑)」
レジェンドから見たレジェンド。イチローと武は95年にラジオ番組で初対面し、意気投合した。
武はイチローを「いっちゃん」と呼び、オリックス時代は球場で何度も応援。メジャー移籍後も年に1回は食事会を開催し、15年2月には神戸で合同自主トレも行った。
「僕は専門的なことは全く分からないですけど、とにかく長い間、第一線でやっていることはどの世界だって凄い大事なこと」
自身と重なる長いキャリアを称えた上で、話題はすぐに武の「素顔」へと移った。
「あの人、凄く面白いから大好き。お酒入らないと何となく最初硬いんですけど、お酒入りだすと…。いつも鍵をなくしちゃうらしいんですよ。酔っぱらって、家の鍵を」。
指紋認証の鍵にしても無駄だったそうで「指紋までたどり着かずに倒れていたって。家の前で。朝、警察が来て大変だったと。
単なる酔っぱらいだったというストーリーが武さんらしい(笑い)」。ちなみに、イチローは「(武さんに)お酒を教えたのは僕」と公言している。
いまだにガラケーを貫く愛すべき先輩に「連絡が取りづらくて“iPhoneにしてくださいよ”って言っているんですけど」と苦笑い。
かつて自身も有馬記念を何度か買い、武を軸にして勝ったこともあるというが「ただ、倍率低いからね。面白みはないんだけどね」と、ここでもオチを付けた。
現役にこだわるヒーロー3人で共鳴し合えるものがある。もう一人はJ2横浜FCのFW三浦知良(51)だ。
「深~いところでつながっているんですよね。お互い“あ、いいな”と言うところも性格も全然違いますし、遊び方も違う。だけど自分にないものを持っているから、明らかに。
そこにひかれるというのはありますよね。揺るがない実績が武さんはあるし、カズさんもそうですけど、何も言わなくても何かが伝わるという、本当のプロだなと思いますね」。
本当のプロ。3人にしか分からないこともきっと、そこにはある。
「このオフは神戸まで僕が武さんを引っ張るので、“量子さん、僕に武さんを貸してください!”」(笹田 幸嗣通信員)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000072-spnannex-horse
キタサンで春天連覇した時の祝勝会の後に白井最強と一緒に家の前で潰れてたって話思い出した
武豊4000勝“同姓同名”愛知・武豊町も歓喜 町長エール「記録伸ばして」
天才ジョッキーと“同姓同名”の町「武豊町(たけとよちょう)」も快挙達成を喜んでいる。
読み方は違うが、同じ漢字が縁で武豊は2度来町。89年10月には当時20歳の若さで一日町長を務めた。
「1億円ジョッキーとして騒がれていた時。絶大な人気を誇っていた」。こう当時を懐かしむのは籾山(もみやま)芳輝町長(71)。当時は産業課。
スーパースター来町の興奮を、写真を手に振り返る。メインのみゆき通りを通行止めにして、オープンカーでJR武豊駅から役場までパレード。
「町民だけでなく競馬ファンも大勢駆けつけた。知らない町に来て最初はびっくりしただろうね」。
町制60周年(14年)記念誌に「武豊騎手1日町長として来町」と町史に刻まれるほどのビッグイベントだった。
2度目の来町は99年7月。タレント見栄晴とのトークショーで訪れた。
当時、企画課長だった籾山町長はイベントをサポートする立場。
当初は2人でのトークショーを予定していたが「1人友達が行くから」(武豊)。
名古屋場所を終えた貴闘力(元関脇)がサプライズで登場。
会場はさらにヒートアップした。
籾山町長は「最初のあいさつで“初めまして。私の名前はたけとよです”と気を利かせて笑いを誘ってくれた。トークショーの盛り上げ方もうまかった」と回顧した。
今でも武豊町と武豊の絆は強く結ばれる。武豊町は武豊が重賞Vや節目の記録達成時に祝福のメッセージを贈り、年賀状のやりとりも続いている。
籾山町長は「彼の騎乗はブレがない。膝で全てを吸収する走り。全く動かない。それだけ技術がある。天性のものだろう。温厚で人柄もいい」と絶賛。
「4000勝は一つの通過点。この先、5000勝、6000勝と記録を伸ばしてほしい」とエールを送る。
偶然が縁で平成元年から始まった“武豊同士”の親交。第二の故郷はこれからも同名のスターを応援し続ける。
籾山町長の武豊評が完全にガチの競馬ファンのそれだw
一町長の枠を超えたコメント
貴闘力はまずいだろw
抜くのは本当に無理なレベルの大記録
年間100勝、シーズン10勝もおぼつかない奴が
大多数なのにそれを40年続けてやっと達成だもん
特にオグリキャップのあのラストランは武豊にとってかなりデカいわ
あれがなかったら4000勝はなかった気がする
兄弟子の河内洋調教師(63)が、武豊騎手の偉業をたたえた。
共通の師匠だった武田作十郎元調教師(故人)の「人に好かれよ」という教えが、JRA通算4000勝の原点。
弟弟子のデビュー時を「技術的には言うことなかった」と振り返り、今後については「体が資本。さらに活躍してほしい」と願った。
河内師が騎手としてデビューしたのは74年。
その13年後の87年、自身と同じく武田作十郎厩舎から中央競馬界に現れた若武者が武豊騎手だった。
「頭のいい子やから、何をすべきかを分かっていた。
親父(武邦彦元調教師)に迷惑かけないように、というのを一番にやってたと思うよ。みんなから応援してもらってたしね。
それが一番やろうね。自分1人じゃできないから。みんな協力してくれていた」。
兄弟子として助言やアドバイスを懇々と言い聞かせたわけではなかった。逆に、武豊騎手から聞かれることも少なかった。
「質問されることは、あまりなかったね。自分で考えていた。
言われたことは素直に聞いていた。技術的にもこっちから言うことは、なかったね」。
そんな中で、師匠の武田師が口癖のように言っていた言葉があるという。
「『人に好かれよ』というのが、師匠の教えやった。人に好かれないと、馬に乗せてくれないからね」
競馬が、今ほど国民に受け入れられていなかった時代。職人気質の関係者も多く、ひと癖もふた癖もある騎手が多数を占めていた。
「武(邦彦)さんはクセものやったからな(笑い)。ユタカは素直やから。親父からすれば、まだまだと思ってたかもしれんけど。人の邪魔してナンボという面があったからね、昔は」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00346755-nksports-horse
河内のおっさんにデビューの頃から技術的に問題なかったとか言われるのもすげえな
固すぎず柔らか過ぎず
さすが若い頃から注目されて続けてる奴だ
超一流のスポーツ選手で武豊ほどインタビューにうまく答えたりコメントできる人を見たことない。
いつもら適度なユーモアがあるというか、真面目一辺倒にならないとこがすごい。
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