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https://twitter.com/tarzany/status/761114980628373504
え? あの清水成駿さんが亡くなられたの? ショックだなあ。言葉がない。限りなくその文章が好きだった。
— ターザン山本! (@tarzany) 2016年8月4日
マジかよ・・・
皐月賞をテープが擦り切れるまで見たところ味のある競馬をしている馬がいた。
ボールドエンペラーだ。
ダービーにおいてここまで評価が落ちるのは評論家、トラックマンの責任もある。
皐月賞一戦で見限るのは早計、穴は過去のレースの本質を見抜いた者のみが与えられる神からのギフト。
きさらぎ賞ではダービーの主役スペシャルウィークの2着。地力はある。
対抗はスペシャルウィークで鉄板。
ダービーくらい一点でしとめたいものである。
たまには女房に帯の札束を渡すのも悪くはあるまい。
こマ?
これはホント
伝説のスーパーショット
これを見に来た
さんざ、バカにしてきたが、名文に見えてきたじゃねーか
あれ、モニターがにじんでら
どうみても名文
予想はともかく物書きとして好きだったのに
競馬予想家、評論家として第一線で活躍していた清水成駿(しみず・せいしゅん)さんが4日午後3時17分、東京都内の病院で死去した。68歳だった。葬儀・告別式の日取りは未定。
本紙で連載中だった「馬單三國志」をはじめとする数々の名物コラムで、競馬ファンを魅了し続けてきた“カリスマ”は、がんとの壮絶な闘病生活の中でも、決してペンを手放すことはなかった。
☆清水成駿(しみず・せいしゅん)1948年生まれ、東京都出身。72年明治学院大学経済学部卒業後、競馬専門紙「1馬」に入社。トラックマンとしてキャリアを積み、35歳という異例の若さで編集長に就任。長年、人気コラム「スーパーショット」を掲載し、“孤独の◎”を打つ予想家として大きな注目を集めた。2001年の「1馬」退社後も、あらゆる媒体で競馬予想家、評論家として一線で活躍。著書も多数。本紙には82年から「うら道馬券術」「オトコの馬券学」「男なら勝負だ!!」ほか、数々のコラムを掲載。02年からは「馬單三國志」のタイトルで週末の紙面に確定予想を展開した。07年日本ダービーで牝馬ウオッカ(3番人気)に打った“衝撃の◎”はあまりにも有名。自身のラストダービーでも3番人気マカヒキを敢然と“1強指名”し、◎★○で鮮やかに的中させた。
引用元:ヤフー
「札束を妻へ渡すのも悪くはあるまい」
のフレーズは大好きだった
今までありがとうございました
年齢的なものかと思ってたけど闘病中だったのかな
やはり、今年は牝馬に賭けてみるつもり。
歴史的な賭けである。20歳も下の恋人に振り回され、ついにギャンブル漬けの借金だらけ、
一度はにっちもさっちもいかなくなったドストエフスキーであるが、そんな借金地獄から
救い出してくれたのも速記者を引き受けてくれた一人の女性。今年はウオッカに助けを求めた。
桜花賞馬ダイワスカーレットはアドマイヤオーラと1勝1敗。また、Dスカーレットはウオッカとも
1勝1敗。さらに前述したようにAオーラはFホウオーに同じ上がりを使って1馬身半差なら、
HホウオーVSウオッカとてさほどの能力差があるわけではない。まして、桜花賞は直線で
何度も内に刺さりながらの2着確保。とても力を出し切った競馬でなかったことは、その前の
チューリップ賞を見ればわかること。
今年の牝馬は特別強い。傍証はいくらでもある。時計はともかく桜花賞11着のピンクカメオが、
皐月賞6着のローレルゲレイロをおさえてNHKマイルCを勝ち、その翌週のオークスでは
ローブデコルテが従来のオークス・レコードを0.8秒も更新する2分25秒3の優秀な時計で快勝。
少なくてもウオッカはピンクカメオやローブデコルテが相手なら常に1秒近く前にいる馬である。
むろん、距離も心配ない。心配なしというより、あのパワフルな走りはむしろ2000からそれ以上で
真価が発揮されるはず。兄のタニノベリーニは新潟の新馬戦(2着)で初めてきた時、
これは先々ダービー、菊花賞で…と思わせた好馬体。だが、馬に柔軟性がなかった。
結局、2200の未勝利を勝ち、2400の500万特別で2着まで。ただし、
その優勝馬が春の天皇賞2着のエリモエクスパイア。どうみても距離はもつ。
2007年ダービーもウオッカに自信の◎打ってたな
名文だわ
ご冥福を祈る
やりたいことが多いのに、それが叶わないもどかしさがあったのかもしれないね。
賛否はあれど間違いなく予想家として名を残したよ。とにかくお疲れ様でしたと言いたい。
水上学あたりでその領域まで行けるかどうか…
その後ずーっと褒めちぎっていたのが懐かしい
清水成駿は人生の最期に命を賭けた乾坤一擲の勝負に勝った。
そして笑顔で旅立って行った。
そういうことなのだな。
◎ゴールデンフェザント ランド
ジャパンカップの名手だったね
>>89
ジャパンカップを国際関係と絡めてたのは成駿だけ
90年辺りからドイツ馬が出てきたら買いと言い続けてた
おかげでランド取れた
競馬・男の一本勝負は名著
今年の春のG1シーズンまで持ったな
よく踏ん張ったわ
今の予想家は軽いよ
清水自分が信じた馬を文章力で買おうかな?いう気にさせられた
末期は社台がどうだこうだ、政治力がうんぬんで・・、馬を見て無いのが解ったから悲しかったけどやな
清水成駿はそれが出来てる人だった
これマジか?
スマイルフォンテンとケイシュウグレイトの枠連4-4。
あんただけ本命対抗ズバリ。
競馬初心者の俺は衝撃だったよ。
いまだに競馬が自分の近くにあるのはあんたのせいかもしれない。
成駿さんよ。
それって良いことなのかね…
まあ、良いことだな。ありがとう。
引用元:清水成駿、死去